《MUMEI》

道三は濃の傍に控えていた各務野に目を向ける。

「各務野、お前は付老女として濃と共に織田家へ参れ。そして織田の内情を、俺のもとに逐一報告しろ」

各務野はどもりながら、「は、はいッ!」と答えた。

道三は各務野の返事を聞くと、再び濃の顔を見る。
濃は、なにかを考え込むように、俯いていた。

道三は、ゆるく首を振る。

「お前からすれば、誠に不条理な縁談であろう…しかしながら、今度の話、この俺にとっては絶好の機会なのだ」

そこまで言うと、濃はゆっくり顔をあげ、父の顔を見上げた。
美しい漆黒の双眸に、賢しげな輝きを宿し、姫は言う。

「…尾張一円を、手に入れるお考えなのでしょう?」

見事に言い当てた娘を見遣り、道三は不敵な笑みをもらす。

「いかにも…織田信長とやらは類いない『うつけ』と呼ばれているそうだ。それが織田の家督を継いでみよ…この道三が、尾張へ一気に攻め入ってやるわ!」

高らかに言い放ち、それから急に立ち上がったかと思うと、道三はひと振りの短刀を持って来た。

それを濃の眼前に差し出しながら、言った。

「これを渡しておく。お前の目で見て、その信長が、この美濃に相応しくない婿だと思うたら、躊躇うことはない…この短刀で信長を刺すがよい」

父の言葉を聞いていた濃は、ゆるりとひとつ瞬いて、その短刀を受け取る。
それは鞘に美しい装飾が施してあるもので、ズシリ…と物凄い質量を感じた。

濃は道三を見上げて、フッと目元に笑みを滲ませた。

そうして恭しく頭を下げ、


「父上の、仰せのままに…」


…と、呟いたのだった。



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