《MUMEI》

 「相も変わらず時化た顔してんな、愁」
仕事場へとつくなりに
呆れた様な、脱力した様な声が背後から聞こえてきた
勤め先であるBar
声を主はそこの店長の斉藤 仁で
広瀬の古くからの友人でもあった
「……この面は生まれつきだ、文句言うな」
「そりゃ可愛くない赤ん坊だったな。それに、年中そんな面してると寄ってくる女共もすぐ逃げ出すぞ」
「……別に逃げてもらっても構わねぇよ」
興味がない、と小声で続け、注文を取ってくるとトレイを持ちフロアへ
唯淡々と与えられた仕事をこなすだけの平凡な毎日
ソレすら大事だと思うのは、自分達が常に(平穏)とは一歩外れた処に居るせいだった
傍らに常にある不安、そして恐怖
ソレを完璧に払拭する事など出来る筈もない
あの女、野衣の母親がこの世から消えない限りその全てが消える事など無く
いっそ手に掛けてしまえれば楽になれるのに
そんな下らない考えに至ってしまう自身に心底腹が立った
「愁君、どうしたの?すっごく恐い顔してるよ〜」
客の声に我へと帰り
何でもないのだ、と愛想で笑いを浮かべて返す
こうやって誤魔化す事が唯一、誰に瀬る事も出来ない自分達を守る術なのだから
「愁一、お前に電話」
考えこむばかりの広瀬へ
同僚からの声
受話器を差し出され、一言れを言いながら受け取った
「お電話代わりました、広瀬ですが」
営業用の丁寧さで電話の相手へと向かえば
その奥から、微かに笑う声が聞こえてくる
『……久し振りだな、愁一』
その声に、瞬間広瀬の眼が見開いた
ソレは、二度と聞きたくなどないと思っていた父親の声で
すぐにでも受話器を叩きつけてやりたい衝動に駆られる
「……何か、用か?」
兎に角手早く済ませようと用件を伺えば
電話の向こう、わざとらしい溜息が聞こえてくる
『どうしてお前はそう淡白なんだろうな。久々の親子の会話だというのに』
「……何が親子だ。馬鹿じゃねぇのか」
今更そんな言葉など聞きたくもない
嫌悪感ばかりを抱く広瀬は、耐え兼ね受話器を手荒く置いてその派手に響いた音に店内が水を打ったように静まり返り、周りの視線が全て広瀬へと集まっていく
「しゅ、愁一。どうした?」
戸惑ったような声が問うて来て
瞬間冷静さを取り戻した広瀬
何とか面の皮に笑みを貼り付けると、何でもないのだと仕事へと戻っていた
耳の奥に残る父親の声が不快で堪らない
二度と聞きたくなどない、聞く事などないと思っていたのに
突然の事に、耳が拒絶反応を起こす
「……悪い。少し、休憩入るわ」
集中力が完璧に切れ、仕事が手につかなくなり
広瀬は同僚に一言その旨を伝えると、奥の控室へと入っていく
「……今更、今更だ!」
あの男の面を見るのも、そして過去を蒸し返されるのも
唯平穏を望むだけの日々
多くを望まず唯それだけを望み
だがそれだけのことすら叶わず
これから先、後何年こんな風に何かに脅かされながら生きていかなければならないのか
頭を抱え、背を壁に座り込んでしまった
その内に吐き気すら覚え、酸い胃液が口元を伝い落ちていく
黄色く広がっていくソレを手近な雑巾で手荒く拭っていた
「しゅ、愁一!?お前、大丈夫か!?」
その直後、戸の開く音が聞こえ
入って来た同僚は広瀬の様に当然驚く
抱え起こしてくれる同僚になんとか笑って見せれを言う愁一
だがその顔色は段々と悪くなっていくばかりだった
「悪い。俺、今日はもう帰っていいか?」
「別に構わんけど、少し話しようや。愁」
これ以上仕事ができそうにない、と訴えた広瀬へ
だが返答したのは同僚ではなく別の声で
そちらへと向いて見れば
其処に斉藤がいた
「仁……」
「お前、仕事戻っていいぞ。フロアの方忙しくなってきたし」
サッサと戻れと同僚へと手を振る斉藤
その言葉に促され同僚はそそくさと仕事へと戻り、後には斉藤と広瀬だけが残る

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