《MUMEI》
深海
仕事の帰り。優里はネットカフェの個室にいた。深海に潜るためだ。
魅惑的な水着のまま深く深く潜り、魚たちを魅了する。
美しいマーメイドは、大胆にも危険な領域に入っていく。獲物を狙っている凶暴なサメが近くにいるのも知らずに、優里は前に見た怪しいサイトを開いていた。
『貴女のエッチな願望を叶えます』。
料金は8000円。彼女は何の根拠もなく、こんなに高額を取るなら返って怪しくないと判断した。
しかしネットは『類似品に注意』と謳っているサイトのほうが偽物だったり、『クリック詐欺に注意』と言っているサイトがクリック詐欺だったり。
こういうことは珍しくない。
裏サイトを覗き、このサイトの被害者の苦情があるかどうかを調べる方法もあるが、優里はあまりにも真面目だった。
彼女は専用フォームを開けた。
シナリオを書くスペースがある。胸騒ぎがする。本当に大丈夫か。
でも、くすぐり我慢大会もインチキではなかった。この経験が優里の背中を押した。
(どうせやるなら、日常ではあり得ないストーリーのほうが面白い)
優里は書き込んでいった。
『あたしは女スパイ。ギャングのアジトに潜入し、機密書類を盗もうとするが、運悪く敵に見つかってしまう。
多勢に無勢。脅されたら逆らえない。ボディブローで眠らされ(本気で殴っちゃダメですよ)、気づいてみたらベッドに下着姿で大の字。手足を拘束され全くの無抵抗。
強面の男たちに囲まれて、吐かないと拷問すると脅される。
しかしそこはスーパーヒロイン。口を割らない…』
優里はエキサイティングな展開に乗ってきた。実際にそうなったら泣いて哀願するだろうが、アニメのヒロインのように勇敢な役をやってみたかった。
『最後は数人がかりのくすぐりの刑で1分ももたずに降参…』
「ふう」
熱い。想像して妙な気持ちになってきてしまった。優里は書いた文章を読み返すと、次に進んだ。
NG項目を記入する欄がある。優里はますます詐欺ではないと信用した。
『ハードな拷問は絶対バツ。痛い目はダメ。罵倒も傷つくようなひどい言葉はNG!
くすぐりは私がぐーぱーぐーぱーとやったら「やめて」の合図。危ないから絶対にやめてください。
(私の限界は30秒なので)
ローター、電マ、その他その類はNG!』
彼女は電マで攻められた経験はなかった。相当気持ちいいと聞く。
優里は唇を噛んだ。今回は試運転だからやめておこうと判断した。
大事なことを書き忘れていた。優里は付け足した。
『全裸は絶対NG!
下着姿まで。これは絶対に守ってください。無抵抗だからって意地悪は厳禁。「裸にするぞ」という脅しはOK!』
優里はほくそ笑んだ。
(大丈夫かな、こんなこと書いて?)
読みようによっては、裸にされたがっているような誤解を招く。
このギリギリの線がスリルと興奮を呼ぶ。8000円で絶対安全保証付きのスリルを体感できるとしたら安いものだ。
優里は危ない自分に呆れた。
それでも、送信ボタンを見て躊躇する。欲望と理性の最後の戦い。
違法ではない。彼氏がいないのだから、こういう遊びも独身時代の思い出の一つ。
あのマッサージ店にはあれから行っていない。あれほどの快感を味わっても、病みつきにはならなかった。
(あたしは理性で抑えられる)
いや、問題はそこではない。ブラとショーツだけの姿で手足を拘束されて、実は裏ビデオの撮影と告げられたら…。
(ヤダ、そんなの!)
優里は本気で怖くなり、おなかに手を当てた。胸の鼓動が激しくなる。
彼女は迷った。迷いに迷ったが、悪魔の囁きが聞こえた。
『単なる大人の遊びよ』
そう。大人の遊び。優里は送信ボタンをクリックした。

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