《MUMEI》

 野衣を預かって一週間後、その日も当然普段通りに出勤した斉藤
いつもなら先に来ている筈の広瀬の姿が、その日に限って無い事に気が付いた
どうしたのか、と他の従業員へと問うてみれば、だが誰一人としてその理由を知っている者はなく
斉藤は嫌な予感を覚えすぐに広瀬の携帯へと電話をかけてみる
だが、出る事はなく
手荒く受話器を置くと踵を返した
何所へ行くのか、との問い掛けに
「……愁の奴、寝坊してるみてぇだから直接行って叩き起こしてくる。悪いけど、後の準備頼むわ」
普段なら絶対に取る事のない行動に
だが斉藤はそれ以上何を言う事もせず、薄く笑みを浮かべ外へ
自身のバイクへと乗りこむと広瀬宅へと向かう
「愁、居るか?」
戸を叩いてみるが反応はない
二度三度繰り返すがない反応に、斉藤はため息をつくと庭の方へと回ってみた
ソコは相も変わらず黄の花が咲く園
他人を拒む様に林立する向日葵、それらを掻き分け中へと入れば
その中で花を抱きかかえ倒れている広瀬の姿があった
「愁!」
慌てて抱き起こしてやれば、その身体はひどく熱い
都合よく開いていた窓から家の中へ、斉藤は広瀬を引き摺って入る
「馬鹿のくせに風邪ひいたか?」
揶揄う様な物言いに
だが広瀬は熱に中てられ虚ろな視線を向けながら
「……見なけりゃ、よかった」
震える声で、呟く
斉藤は一体何の事かと首を傾げれば
「……何も見なけりゃ、普通で、居られたんだ――」
何に怯える事もなく、日常を唯の日常として
うわ言のように何度も呟く広瀬
滅多に見せる事のないその弱々しい姿に斉藤は舌を打ち、その身体を抱え起こしていた
斉藤は無理矢理にでも自宅へと連れて帰ろうと引き摺り始めた、次の瞬間
家の電話が、突然に鳴り響いた
その小高い音に斉藤は僅かに驚き、広瀬は何かに怯えるかの様に表情を強張らせる
鳴り続けるソレを、だが取る様子のない広瀬に代わり斉藤がとった
電話お決まりの言葉を言い掛けた矢先
『……愁一君?私よ、お久しぶりね』
一方的な会話が始まる
相手は斉藤を広瀬だと思い込んでいる様で
人違いにも構う事無く話を進めていく
『この前、広重がそっちに行ったでしょう?でも、まだお金振り込まれてないんだけど』
どういう事なのか、と問い質してくる相手へ
当然訳が分かる筈のない斉藤は何を返す事も出来ず無言のまま
だが相手は広瀬と話しているのだと思い込み話を続ける
『いいわ。近いうちに、そっちに直接取りに行くから。百万、揃えておいてね』
一方的なソレで、電話は途切れた
訳が当然に分からない斉藤は、取り敢えず受話器を手荒く戻すと広瀬を抱え上げその身をベッドへ
未だうわ言の様に何かを呟く広瀬へ、少し眠る様言って聞かす
これ以上、追い詰めてはいけない
話を聞いてやるしか出来ないのであれば、
これからは何も聞かず普通に接してやった方がいい、と
布団をかぶせてやり、斉藤はそこを後にしようと踵を返した
その直後
斉藤の携帯が突然になり出した
電話の相手は奈菜
何かあったのか、と出る事をする
『仁さん。大変です!』
何故か応答慌てている様子の奈菜へ
斉藤は声で宥めてやりながら、どうしたのかを問うた
『野衣ちゃん、野衣ちゃんが……!』
「落ち着け、奈菜。で?野衣ちゃんがどうしたって?」
『突然家に来た男の人と何処かへ行ってしまったの!私、どうすれば……』
その報せに、斉藤の表情から穏やかさが失せる
取り敢えずは改めて奈菜を宥めてやり、大丈夫だからと通話を終えていた
一向に好転する事のない状況に舌を打てば
広瀬が突然にベッドから身を起していた
乱れた身なりのまま、ベッドを飛び降り外へ
途中、斉藤の制止する声も聞く事をせず
広瀬は短車へと乗り込む
野衣を連れていった男、その人物に何となくだが心当たりがあったからだ
熱に乱れるばかりの呼吸を何とか整えながら、そして到着したのは
宮口 広重の事務所
到着するなり戸を手荒く叩きつける
「出て来い、宮口!出てこ……」
戸を叩きながら、だが言葉は更に乱れていく呼吸に途切れ途切れで
何度目かに喚き散らした後、漸く戸が開いた
「これは広瀬さん。どうかしましたか?顔色が良くない様ですが」

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