《MUMEI》
絶望
優里は、あることが心配になり、立ち止まった。
「どうした?」伊刈が振り向く。
「伊刈さん。真っすぐマンションに行くんですよね?」
「そうだ」
「途中で変なことしませんよね。人混みの中でコートを取っちゃうとか」
伊刈は笑った。
「凄い発想だな。羞恥プレイか。おまえみたいな上品な美人が全裸で街中に置き去りにされたら、どういう態度を取るか。ちょっと興味あるな」
優里は唇を噛んで伊刈を見つめた。
「優里。シナリオに加えたくてアイデアを出したのか?」
優里は突然泣きながら叫んだ。
「そんなことされたらたまんないから確認してんじゃないか!」
「待て待て」伊刈は優里を抱きしめた。「落ち着け。赤っ恥をかかすようなことはしない。約束する」
優里は伊刈の腰に手を回した。伊刈の表情が少し動く。
「落ち着ついたか?」
「はい」
「大丈夫か?」
優里は両手に力を込めた。
「伊刈さん。許してもらうわけには行きませんか?」
「ダメだ。俺の一存では決められない。ボスは俺じゃないからな」
もはや絶望的か。優里は手を放した。
「行くぞ」
優里はムッとした顔でついて行った。

約束通り、途中で変なことはされなかった。二人は大きなマンションに入る。エレベーターで五階へ。
「三階が事務所だ。そこで客は金を払い、この部屋に来る」
伊刈は鍵を差し、ドアを開けた。
「ほかは普通の住民だ。助けを求めたりしたら、知らないぞ」
「そんなことしません」優里は俯いたまま言った。
部屋に上がる。ワンルームだ。Wベッドがあり、両手両足を固定するためのベルトが装着されてある。
優里はおなかに手を当てた。
「客が三階に来たら、電話がかかって来る。コスチュームを伝えるためだ」
「コスチューム?」優里はベッドに腰をかけた。
「これだ」伊刈は自慢げにタンスを開けた。「ここに揃っている。たとえばレースクイーンというリクエストなら、そのコスチュームに着替える」
笑顔で話す伊刈に顔を曇らせる優里。
「たいがいの客は、始めから手足を拘束した状態でプレイを始めたがる」
ますます沈んだ表情の優里に、伊刈は言った。
「逃げることを考えているな?」
「まさか」優里は慌てた。「絶対逃げません。信じてください」
「普通は逃げることを考えるだろ?」伊刈が怖い顔で迫る。
「逃げません。さっき言うこと聞いてくれたし、伊刈さんは怖いから」
「俺が怖いか?」笑顔で聞く。
「怖いです。だから、逃げるなんて、考えません」
泣きそうな顔をする優里。伊刈はベッドにすわると、優里の腰を片手で抱いた。
「よし。信じよう。ただし、逃げたら容赦はしないぞ」
「はい」
逃げるのは命懸けだ。しかしここは夜這いプレイの店。マニアックな客は怖い。やはり逃げるしかないと優里は思った。
もちろん脱走に失敗したら、どんな目に遭うかは想像がつかない。
優里は伊刈を安心させ、油断させようと、弱気な女を演じた。
「あたしを、悪いようにはしませんよね?」
つぶらな瞳で見つめられるのは、悪い気はしない。伊刈は優里のきれいな髪を撫でた。
「おまえはいい子だ。いや、いい女だ。ひどいことはしないさ」
客を取らせることは、ひどいことではないのか?
優里はグッと堪えた。顔に出るといけないので、下を向いた。
電話が鳴った。
(嘘…)
早くも客が来てしまったか。
伊刈が電話に出る。
「伊刈だ……わかった」
電話を切ると、伊刈は立ち上がった。
「客だ。コスチュームは水着だ」
優里も立ち上がり、タンスからセクシーなオレンジのビキニを出した。
「身に着けろ」
優里は後ろを向くと、コートを脱いでハンガーにかけ、水着を着けた。
恥じらいながら振り向く優里。伊刈は彼女の水着姿を見て、目を見張った。
「かわいいな。客も喜ぶだろう。寝ろ」
従うしかないのか。優里はベッドに仰向けに寝た。

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