《MUMEI》

信長は、まだ興奮している馬を上手に操り、馬上からまた叫ぶ。

「オヤジはどこだ?」

不躾な問い掛けに、権六は顔をあげ眉をひそめる。

「…恐れ入りますが、若殿。美濃御前を放ってなぜ、このような場所に…」

権六は質問に答えず、逆に聞き返した。
『美濃御前』というのは、濃のことだ。織田家の者達は皆、濃のことをそう呼んでいる。

濃を尾張に迎えてからというもの、信長は彼女の部屋に入り浸っているという噂であった。相当彼女に入れ込んでいるのか、或いは警戒して見張っているのか、どちらかは分からないものの、とにかくそんな信長が、突然現れたことを、権六は不思議に思っていた。

権六の返事に、信長は眉を吊り上げた。

「俺は、『オヤジはどこだ』と聞いているのだ!聞いたことに答えろ、たわけがッ!!」

罵声を浴びせると、権六は少し萎縮し、「失礼致しました!」と再び頭を下げる。
そのままの姿勢で、続けた。

「大殿様は先程までこちらにいらっしゃいましたが、すでに信行様を伴い、古渡城へ戻られました」

「城へ戻ったか」

間髪入れず尋ね返した信長に、権六は「はい」と答えた。
信長は少し考えるようにしてから、権六を睨みつける。

「成る程、分かった!」

そう一声叫ぶと、馬首を巡らせ、元来た道へ振り返る。
信長は肩越しに権六を見、言った。

「呼ばれたから末森までやって来たが、俺も忙しい故帰ったとオヤジに伝えろ!話があるなら、自ら那古野城へ赴けとな!」

言い残すと、信長は馬の尻を叩き、疾風のように駆け去っていった。

呆気に取られていた権六は、その後ろ姿をしばらく呆然と見つめてから、

傍に控えていた腰元のひとりに、

「大殿様に、お伝えしろ…若殿が、那古野でお待ちであると」

と、命じたのだった。



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