《MUMEI》

 野衣の通う高校
授業終了のチャイムが鳴り響き、漸くの放課後
「野衣、帰ろ!」
帰り仕度をしていた野衣へ、友人の声が掛った
野衣はその誘いに頷いて返すと、支度を早々に終わらせ、その友人と連れ立って学校を出た
「お帰りなさい、野衣」
校門を出た、直後に
突然掛けられた声
その声の方へと反射的に向き直ってみれば
それまで友人たちとの談笑に浮かんでいた笑みが消えて失せていた
「野衣?どしたの?」
動揺に身体を震わせ始めてしまった野衣へ
心配気に友人が顔を覗きこめば
段々と野衣の顔色は青白いソレへと変わっていった
目の前の人物は、野衣の母親
10年前、広瀬の母親を死に追いやり、そして自分を捨てた女
恐怖と嫌悪
複雑すぎる感情ばかりが野衣を苛んでいく
「大きく、なったわね。野衣。お母さん、びっくりしちゃった」
穏やかな笑みをあからさまに作って見せながら、野衣へと近く歩み寄ってくる母親
その距離が縮まれば縮まるほど
野衣の身体の震えは酷くなっていった
動悸、息切れがし、呼吸が乱れていく
「……しゅ、愁ちゃ――」
助けてほしい、と蹲り自身の身体を強く抱きしめる
その直後
土煙を上げ、急ブレーキを踏む音が近く鳴った
「野衣!」
怒鳴る広瀬の声
その怒号に周りの視線が広瀬へと向けられ
だが構う事を広瀬はせず
、短車を放り出すと野衣の傍らへ
「愁ちゃ……」
何か言い掛けた彼女の身体を手荒く抱き
母親から庇う様にして立っていた
「愁一、君。本当に、あの人の若い頃によく似てる」
広瀬を見、母親が浮かべる笑み
そこにあるのは至福と狂気
向けられたソレに広瀬は嫌悪ばかり抱く
気に入らなければヒトを殺す事さえも厭わない女
野衣の震えが、益々酷さを増せば
「先生!こっちです!こっちに変な人がいるんです!」
友人がその様子を見、母親を不審者として通報したらしく
教師が数人、連れ立って現れた
その事に気付いた母親は
すぐさま踵を返しその場を逃げる様に後にした
その背が見えなくなり、野衣はその場へと崩れ落ちる
座り込んでしまった野衣を立たせてやり
教師と友人に礼と詫びを入れると帰路へ着いた自宅へと帰りつけば
野衣を落ち着かせてやるためホットココアをいれてやる
「ありがと」
暖かく湯気の出るソレを受け取ると居間のソファへと腰を降ろし
猫舌故に冷ましながらそのココアを飲み始める野衣
その彼女の身体を、広瀬は唐突に背後から抱きしめてやった
「落ち着いたか?」
野衣の長い黒髪を書き上げてやりながら低音を耳元で鳴らしてやれば
ココアを飲みながら野衣は頷く
「……あったかい」
甘い、甘いココア
ソレは広瀬から与えられる愛情の様で
野衣は身体を抱く広瀬の胸へと身を凭れさせた
この安らげる場所を失いたくない
恐怖と不安ばかりが付き纏う日々の中に在って
広瀬の腕の中だけは、野衣には唯一安心して身を寛げる事の出来る場所
辛いも、恐いも、この腕の中にあるときだけは感じすに済んでいた
「……ずっと、傍に居させて、ね」
もう、あんな風に突き放されるのは嫌なのだ、と
多少なり、不手腐った様に呟く野衣へ
広瀬は苦笑を浮かべながら、わかったを一言返していた
穏やかな空気がその場に満ち、互いに安堵する
広瀬に全てを委ねてしまえば
その内、眠気に眼が潰れ始めた船を漕ぎ始めてしまった野衣へ
広瀬は自身と向かい合う様に彼女の身体抱き返すと
背を叩いてやりながら、小さく歌を歌う事を始めた
幼い頃、野衣によく歌ってやっていた子守唄
穏やかに、そして優しくなるその声に
野衣が眠たげな顔を広瀬へと向けてきた
「どした?」
見上げてくる野衣の髪を撫で、掻き上げてやりながら問う事をすれば
幼少の頃と全く変わらない幼い笑みを見せた
「……愁ちゃんが歌ってくれるこの歌、私、大好き」
程良く低く、野衣だけにはひどく優しくなるその声が好きなのだ、と繰り返しながら
何かを求めるかの様に、広瀬の身体を抱き返す
「……寝てて、いいぞ。こうしててやるから」
広瀬の言葉に野衣は頷き、ゆるり眼を閉じた
次の、瞬間
家の表戸が、向遠慮に開け放たれる

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