《MUMEI》 美果電車が止まり、ドアが開く。80歳くらいのおばあさんが入ってきた。空席はない。あろうことか智文の前に立った。 「ふう」 おばあさんは大きく息を吐く。 (どうしよう?) 席を譲ろうか、寝たふりをしようか。とにかく目の前に立たれるのはヒョードルばりのプレッシャーだ。 そのとき、隣の彼女が立ち上がろうとした。席を譲る気だ。 (まずい!) 先手必勝。智文は先に立ち上がると、おばあさんに笑顔を向けた。 「あの、もし良かったらどうぞ」 「あら、嬉しいねえ。近頃の若いもんはなっちゃないと思ってたけど、そんなことないね」 「いえいえ」 「よっこらしょっと」 恥ずかしい。良いことをしたのに大注目だ。四方八方から一斉に視線を感じる。 智文は知らぬ顔をして上の広告を見た。夏希がいる。 (おっ夏希チャン。売れてるなあ) しかし隣の茶髪ギャルも気になる。上からなら大丈夫だろうと、智文はさりげなく彼女を見た。 (やべ) 慌てて目をそらす。なぜか彼女は、満面に笑みを浮かべて智文を見ていた。 席を譲ったからだろうか。好感度アップか。どこかのゴリラではないが。 もう見ていないと思い、智文はまた下を見る。 (嘘…) 急いで目をそらす。彼女はまだ笑顔で見上げていた。 (そんなにポイント高かったか?) 智文は視線を感じながらも、すまし顔で中吊り広告をながめた。『冨田夏希』の文字が目に入る。 (ん?) 『ショック。冨田夏希はエロ動画出身!』 智文は怒りの表情に変わった。 (くだらない!) 彼は、スキャンダルばかりの週刊誌を軽蔑した。 スキャンダルは本当か嘘かが問題ではなく、人のスキャンダルを暴くことが悪だと思った。 外国でも、人気スターが売れない下積み時代に、ヌードを撮っていることはある。その当時の写真を見つけて鬼の首を取ったような顔をするブラックジャーナリスト。 智文はこういう記事を見ると、夏希への思いがさらに熱く激しくなる。 過去は関係ない。本当に好きならば関係ない。 降りる駅に着いた。智文は茶髪の彼女の顔をもう一度見たかったが、また目が合うと思って我慢した。 彼が背を向けると、おばあさんが言った。 「お兄ちゃん。ありがとね」 「いえいえ」 笑顔が引きつる。寝たふりをしようとしたのだ。威張れない。 駅のホームを歩き、階段を降りようとしたとき、後ろから声をかけられた。 「そこのイケメン君」 「え?」 「あっ、振り向いた。自覚あるんだ。キャハハハハハ!」 彼女も一緒に降りていたとは、気配を感じなかった。 「からかわないでください」智文は笑顔で言った。 「偉いね。おばあさんに席譲って」 明るい笑顔。ハキハキ話すきれいな声。 「あたしは美果。よろしくね」 「ミカ?」 いきなりの自己紹介に、智文は面食らった。 前へ |次へ |
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