《MUMEI》 けたたましいその音に、眠りかけていた野衣が目を覚まし 土足で入り込んできた非常識な来客と、野衣の視線が重なった 「……お、母さん?」 来客は、野衣の母親 驚き、言葉を失ってしまった野衣へ 母親は、不自然なほど優しげな笑みを向ける 「酷いわ、野衣。お母さんを置いて帰ってしまうなんて」 「……何しに、きたの?」 「あなた達に、会いに来たのよ。話したい事があるの」 向けて来るのはやはり笑み だが広瀬達にとってそれは、畏怖の念を抱くものでしかなく 広瀬は野衣の身体を庇う様に抱いた 「……話ってのは、あのクソ親父を殺したって話か?」 「あら、知っていたの。随分と耳が早いのね。……広重から聞いたのかしら?」 何を弁解する事もなく肯定してみせる母親 その事実を真っ向から聞かされ、野衣の顔から血の気が引いて行く 「殺し、た?愁ちゃんの、お父さんを」 「ええ。だってあの人、私を捨てたのよ。新しく若い愛人が出来たからって。酷い男だと思わない?」 「思、わない。だって、あなたは愁ちゃんのお母さんを殺して……、それなのにそんな理由でお父さんまで!」 聞かされた事実に動揺し、野衣は声を荒げる だが母親には欠片の動揺もなく、それどころかその口元には笑みすら浮かべていた 「……あの人は、私だけのもの。誰かに取られてしまう位なら殺してでも私だけのモノに……」 「そんなの、絶対におかしい!あなた、狂ってる。絶対に狂ってるよ!」 「……狂ってる?そうね、狂っているのかもしれない。でも、私はそれでも構わないの」 母親は狂気じみた笑みを浮かべながら 徐に、まだ暑い気候だというのに羽織っている上着を脱ぎ捨てた そして眼の前に晒されたのは 彼女の全身を染め上げている鮮やかな朱 その様を見、野衣は言葉を失っていた 「……血、もしかしてそれ……!」 「できる事なら、あの人の血だけに塗れたかったけれど……」 「どういう意味だ?」 まるで広瀬の父親以外にも誰か殺しでもしたかの様な物言い 訝しみ問う事をすれば、母親はその笑みを更に濃いものへと変える 「……広重の奴、あなた達に手を貸そうとしていたでしょう?あの子は私を裏切った、だから殺したの」 前置きもなく、更に続けられたその言葉に 広瀬は眼を見開き、野衣は顔面を蒼白とさせた 「……私が、恐い?」 広瀬のシャツしがみつき身を震わせる野衣へ まるで幼子を宥めてやる時の様な柔らかな声を母親は向ける 耳元で聞こえるその声に、野衣は両手で顔を覆うと、その場に泣き崩れてしまった 「……ごめん、なさい。愁ちゃん、ごめんなさい……!」 広瀬の両親を手に掛けた女 この女と血が繋がっている事が堪らなく汚らしく感じ 野衣は自身の腕を爪で抉り始める 「野衣、やめろ!」 嫌悪に深く深く身を抉る野衣の指を、その手首を掴みあげて止めてやり 血で汚れてしまった指先を舐めてやった 「お前は何も悪くない。悪く、ない……!」 何度も言い聞かせながら 傷ついてしまった腕を掌で撫でてやった 向けられる優しさに、野衣はソレを素直に受け取る事が出来ない 「……何故、あなたは愛されているの?あなたは私の娘よ!?その男に愛される資格なんてないのに!」 自身が得る事の出来なかった愛情 無いものばかりを求め、それを手に出来ない事に逆上し 懐から突然、何か光るものを取って出した ソレは、血に塗れたナイフ 「お母さん、それ……」 赤黒く、濡れて光るソレを見た、すぐ後母親は躊躇することなくその刃を野衣へ 「アナタだけ幸せになんてさせない。不幸に、なってしまえばいい」 実の母親とは思えない言葉を吐き捨てながら差し向けられた刃 ソレが目の前を掠め、自身の身を抉りに掛り だがその瞬間苛まれるだろう激痛に だが野衣は苛まれる事はなかった 「……愁、ちゃ……」 目の前に居たのは広瀬 その胸元には母親の持っていたナイフが深々と突き刺さっている 「……無事、だな」 震えて鳴る広瀬の声、その口元を伝う赤い筋 自分を庇い、広瀬が差し抜かれてしまったのだと、その瞬間に理解した野衣の顔から 急激に血の気が引いて行く 前へ |次へ |
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