《MUMEI》
ミラクル
チャイムが鳴った。フロントだ。年配の男性が渋い顔で夏希に言う。
「気をつけてくださいね」
「すいません」
夏希の部屋のドアは開けられ、夏希はフロントと智文に頭を下げると、部屋の中に入った。
智文も自分の部屋に入る。深呼吸。頬をつねる心境でもないので、自分の拳で顔面にパンチ。
「痛っ…」
夢ではない。いきなり笑顔。端から見れば危ない人だ。
「びっくりしたあ」
智文はベッドに腰かけた。まさか隣の部屋に愛しの夏希がいたとは。人生何があるかわからない。
「これってもしかして、運命の出会いってヤツ?」
毎日毎日彼女のことを深く強く思っていた。その熱が夏希に届いた。そういうことはないだろうか…。
「科学的にもおかしくない」
智文は両拳を出してガッツポーズ。
ピンポーン。
「嘘!」
智文はドアを見た。今チャイムが。まさか夏希。
智文は真顔でドアに向かった。フロントだったらドラゴンスープレックスだ。
内から外を確認。やはり夏希だ。
智文は一気に心臓がドキドキしてきた。
(何だろう?)
ドアを開ける。黄色いTシャツにジーパンの夏希。照れた顔をすると、丁寧に畳んだ浴衣と帯を両手で差し出した。
「これ、ありがとうございました」
「いえいえ」
智文が浴衣を受け取ると、夏希の口から思いがけない言葉が。
「あの、お酒好きですか?」
「酒?」智文は目を見開く。「嫌いではないけど、何で?」
「ちゃんとお礼がしたいんです。言葉だけのお礼では、あたしの気が済みません。一杯ご馳走させてください」
奇跡だ。
「でも、大丈夫なの?」
智文に聞かれ、夏希は黒縁の眼鏡をかけた。
「大丈夫ですよ」
夏希の輝く笑顔。智文は夢の中だ。
「わかった、今行く」
浴衣をベッドに置くと、智文は廊下に出た。
二人はゆっくり歩きながら話す。
「本当に優しく助けていただいて、ありがとうございます。凄く嬉しかった」
「そんなそんな」
「命の恩人ですよ」
「命は大げさだよ」
「大げさじゃないですよ。あたし、どうしようかと思ったもん」
会話が弾む。智文は緊張していた。好きな人の前では上がる。動きがロボットにならないように気をつけた。
夏希はニコニコしている。歓喜と恐縮が合体して、智文は失神しそうだったが、何とか耐えた。
(決めねば…)
二人は一階の店に入った。テーブルに着くと、夏希が聞く。
「ワイン好きですか?」
智文は夏希を見つめて答えた。
「…好きです」
夏希は赤ワインを注文した。智文は夏希に魅了されっ放しだ。
(ロマンだ)

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