《MUMEI》

「どうして庇うの?その子は私の子なのよ。あなたはその子が憎くはないの!?」
「……何、で野衣を憎む必要が、あんだよ?俺が憎んでんのはテメェだけ、だ。野衣は……」
関係ない、とは最後まで口に出来なかった
段々とその量を増していく出血
止まる気配のないソレに、野衣はうろたえる事しか出来ない
「何で、此処までするの?私達が一体何をしたって言うの!?」
崩れ落ちてしまった広瀬の身体を、座り込んだ膝の上へと抱き抱えてやる
広瀬に刺さったままの刃を取り敢えず抜いてやり
傷口を、野衣は手近にあったタオルで押さえてやりながら
未だ薄ら笑ったままの母親を睨め付けていた
十年前のあの日も、そして今も
自分達は何をした訳でもないのに、との訴えに
母親の表情から、穏やかさだけが失せていた
「……野衣、相変わらず泣き虫な子。大丈夫、愁一君が死んだら、ちゃんとあなたにも後を追わせてあげるから」
「質問に答えて!!」
返って来た、問うた事とは違う返答に
怒鳴り返すその声に涙が混じる
肩を揺らし、しゃくり上げる野衣の頬に
宥めるかの様に、不意に温もりが触れた
「……その、女には、何言った、って無駄、だ」
「愁ちゃん!?」
「野、衣。逃げ、ろ。頼む、から」
言葉を途切れ途切れに発すれば発する度、広瀬の口元を朱が伝う
苦しい筈のその中にあっても
野衣にだけは笑みを浮かべて見せ
改めてこの場から逃げる様言って聞かせた
「……逃がしてなんてあげるわけないでしょう。アンタ達も、私の様に何もかも失ってしまえばいいのよ!」
床に転がったままのナイフを母親が拾い上げるのを見、広瀬は咄嗟に野衣を突き放した
「愁ちゃん!?」
野衣の叫ぶ声とほぼ同時に
ヒトの肉を抉る、耳障りな水音が聞こえ
辺り一面に、ゆっくりと朱の水たまりができ始める
「う、そ……」
「ほら、これであなたは私と同じ。辛いでしょう?寂しいでしょう?」
自分もそうなのだ、との母親の呟き
手荒く広瀬に刺さったままの刃物を抜き取ると、野衣へと向いて直る
向けられた刃は、広瀬の血に塗れていて
次々与えられる恐怖と絶望に、野衣が悲鳴を上げていた
もう、これ以上は耐えられない、と
突然に野衣は踵を返し、走って台所へ
逃げ出したのか、と母親はその後をゆるり歩いて追い掛ける
流しの前で蹲っている野衣をそこで見つけ、その背後へと立ち
野衣の肩へと手を置けば
一体どうしたのか、野衣がまるで子供の様な無垢な笑い顔を母親へと向けていた
その笑顔に母親は戸惑い、動く事を止める
出来た一瞬の隙
ソレを借り、野衣は手に握っていた包丁を母親の胸部へと突き立てる
本当にソレは一瞬のことで
母親は、何が起きたのか理解できなかった
「野、衣?」
「……許さない。絶対に、許さない!」
差し抜かれ、戸惑いに動く事が出来なくなってしまっている母親
まさか野衣がこんな行動に出るとは、と驚愕の表情を浮かべる
向けられたその表情に
だが野衣は何を思う事もなく、包丁で母親の全身を斬りつけていく
それまで感じてきた恐怖を、全て吐き出してしまうかの様に何度も
「もう、嫌。もう嫌。私、は唯普通の幸せが欲しかった、それだけなのに……」
床に倒れ伏し、動かなくなってしまった母親を前に野衣は膝を崩す
肩を揺らし泣きだしてしまった野衣の身体が、突然何かに抱かれた
野衣自身を包み込んでくれる腕
野衣は慌てながらそれを確認するため背後へと首を巡らせた
「愁ちゃん……?」
抱いてくれているのは広瀬のそれ
呼吸も薄れ、目も虚ろ。意識を保っているのがやっとだろうその状態で
広瀬は野衣を強く抱きしめた
「……愁ちゃん、病院行こ。今なら、まだ間に合うから!」
早くしなければ手遅れに、との野衣訴えを
広瀬は緩く首を振りそれを拒むと、野衣の手から包丁を取って奪う
一体何をするつもりか、と野衣が訝しめば
広瀬は突然に、野衣の腕をソレで斬りつけていた
突然すぎるソレに、野衣は痛みも忘れ広瀬の方を見やる
どうして、と細い声で問えば
広瀬は何を答えて返す事もせず
徐に携帯を取り出し何処かへと掛けていた
「……今、ヒトを殺した。早く捕まえに来い」

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