《MUMEI》

タクシーを拾おうと思ったが、二人組があとをつけて来る。夏希は振り向いて見すえた。
二人は立ち止まったが、隠れる気は全くない。堂々と尾行されるのは怖い。
(ちょっと、勘弁してよう)
夏希は走った。二人も走る。夏希は角を曲がる。二人も慌てて角を曲がるが夏希が立ち止まって待ち構えていた。
「おっとっと…」
「何ですか?」
「別に。君と同じ方向なだけだよ」
「そうですか」
夏希は正反対の方向へ歩いた。二人もついて来る。
「向こうに行くんじゃないんですか?」夏希が睨む。
「急に用事を思い出したんだ」
夏希はムッとすると、また正反対を歩く。しかし二人はついて来た。
「用事は済んだんですか?」
「俺たちがどの道を歩こうが勝手だろ」
夏希は仕方なく早歩きをする。二人も追いかけて来る。
(どうしよう)
暴力をふるえば問題になる。二人だけならおそらく勝てるが、先手必勝で倒した場合、正当防衛になるかは微妙なところだ。
そのとき。黒の高級車が目の前に現れ、夏希の前で停車した。
後部座席のウインドーが開く。何と催眠術師の仙春美だ。
「夏希チャン」
「あ、どうも」
仙春美は二人の男を透視でもするのか、じっと見た。二人は怯んで後ずさる。
「乗んなさい。あの二人、本気であなたの体を狙ってるわよ」
「嘘…」
夏希は一瞬迷ったが、素早く車に乗り込んだ。車は二人を置き去りにして走り出した。
「あなたみたいな有名人が、こんな夜道に一人?」
「あの二人を巻こうと思ったんですが、しつこくついて来て」
仙春美は、怪しげな笑顔で夏希を見た。
「これも何かの縁よ。せっかくだからウチへ寄ってかない?」
「あ、と…」
助けてくれた恩人に代わりはない。
「催眠術をかけないと約束してくださるなら」
「ははは」カラカラ笑うと、春美は笑顔のまま睨んだ。「それは、失脚した私への嫌味?」
「まさかまさか!」夏希は目を丸くすると、両手を振って否定した。
「冗談よ。あなたの家まで送るから、ワインでも飲んでいきなさい」
「はあ…」
仙春美邸に到着。夏希は車から降りると、邸宅を見上げた。
「凄い。お城みたい」
「ありがとう」
二人は広い庭を通り、中に入った。
一人で歩いたら家の中で確実に迷子になる。それくらい部屋数があり、夏希は廊下を歩きながらキョロキョロした。
リビングに案内される。高級なテーブルに高級なイス。仙春美はこれまた高級なワインとグラス二つを持ってイスにすわると、夏希に注いであげた。
「ありがとうございます」
「飲んでみて。あなたの口に合うワインで乾杯しましょう」
「そんな」
夏希は恐縮しながらワインを飲んだ。
「美味しいですねえ」
「ほかのも味わってみる?」
「いえいえいえ。これがいいです」
「そう」
仙春美の顔がぼやけた。夏希はテーブルに掴まる。まさか催眠術を。違う。ワインだ。
「何でですか…」
夏希はイスから降りて床に両膝をついた。ダメだ。急激に眠くなる。
「何で……」
夏希は気を失い、床に倒れた。仙春美は冷酷な顔で夏希を見下ろしていた。

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