《MUMEI》

 「流……!?」

 俺は信じ難い光景に思わず、目の前の少女の名前を叫んだ。
 目の前に立つ少女は、森川 流(しんかわ るう)。
 普段は、俺を好きだと言ってはばからない、明るくて素直なヤツだ。
 だけど、流にはもうひとつの顔がある。
 殺人鬼としての顔が。
 流は虐げられた人の苦痛に感応し、心が殺意で満たされる。
 そして、復讐を代行する殺戮機械のように人を殺す。
 当事者であろうとなかろうと無差別に。
 それを止めることができるのは唯一、俺――石動 王士(いするぎ おうじ)――だけだ。
 とはいえ、押さえるにも限界があって、適度に人を殺させないといけない。
 だから、流の兄である荒生(あらお)先生が、残虐でどうしようもない犯罪者を選び、流のターゲットにさせている。
ある日の夕方、人気のない公園の中。
 今回もターゲットを流に殺させて終わる……はずだった。



 だが今回、俺は流に殺人衝動を我慢させていた。
 どんな人間でも、死ぬのは、死なせるのは、殺すのは、悲しくなる。
 流が人を殺すのはもっと嫌だ。
 俺が代わってやりたいと思うほどに。
 だからターゲットをなんとか説得しようとした。
 自分の罪を悔いて償ってほしい、流にこれ以上殺させないでほしい、そんな希望にすがりたかったから。
 その考えが誤算を招いた。
 突然踵を返し、逃げる犯人の前に、小学生ほどの女の子が通りかかってしまった。
 それを見つけた犯人は鮫のように笑い、女の子に走り寄った。
 捕まえて人質にしようとしているのは見てとれた。
 懐からバタフライナイフを取りだし、突き付けながら、女の子に両手を伸ばすターゲット。
 間に合わない……!
 俺がそう思った時、その光景を、見てしまった。
 最初に見たのは、流が俺の許可なしに手袋を外し、殺人鬼へと移行した姿。
 一瞬で移行を完了した流は、さらに一瞬後に犯人と女の子の間に立ち、手袋による戒めを解かれた、異様に延びた鋭利な爪を振るった。
 ほとばしる鮮血、夕闇に響き渡る断末魔の叫び、そして黒い線を引きながら宙を舞う、ターゲットの両腕。
 そこからターゲットが切り刻まれて、バラバラ死体になるまでの間は、目に捉えることができなかった。
 あまりにも速く、正確過ぎて。
 女の子は目の前の光景に錯乱していた。
 今の流は、無差別殺人鬼だ。
 このままでは女の子すらも、その鋭利な爪で殺してしまう!
 そう思った俺は、すぐに流を止めようとした。
 だが。
 ありえないことに。
 流は女の子には目もくれず、何事もなかったかのように、ゆっくりと俺のほうに戻ったきたのだ。
 女の子は奇声を発しながら走り去った。
 俺が呆然としている間に、もう姿は見えなくなっていた。



 そして、今、その場には俺と流の2人だけがいる。
 流はハンカチで血に濡れた爪を拭き、俺の近くに落とした手袋を拾ってはめ直す。

「流……」
「…………」

 俺が呼び掛けても、流は答えない。
 なんでだ?
 殺人鬼になった流は、無差別に殺すんじゃないのか?
 なんで女の子を殺さなかった?
 第一、今までは元に戻るのに、しばらく時間がかかっていたじゃないか。
 なんで今は、こうも早く、あっさりと元に戻るんだ!?
 頭の中で繰り返される疑問に、強烈に嫌な答えが浮かぶ。
 俺はその答えを口に出す。
 否定してくれることを、心の底から渇望しながら。

 「流……おまえ、ひょっとして……殺意をコントロール……できるのか?」

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