《MUMEI》

 「おまえを、殺す。」

 今までの流は、衝動をコントロールできなかったが、反面どうしようもないと思うこともできた。
 だが、今からは違う。
 これからの流は、まぎれもなく自分の意思で人を殺す。
 それは、死んで構わないとする凶悪な犯罪者と、どう違うというのだろう?
 そんなことをさせるくらいなら、いっそ流を殺す。
 殺さずに説得するのが理想だが……期待はできない。

 「王士にはできませんよ。人を殺したこともないのに。運動だって流のほうが勝ってます。」

 たしかに俺は、何の力もない高校生だ。
 だけど……ここで負けるわけにはいかない。
 誰も死なないためにも、なにより流のためにも。
 好きだからこそ、大事だからこそ、そんなことはさせてはいけない!

 「分かりました、勝負ですね!」
 「?」
 「流と王士が勝負して、勝ったほうの言うことを聞く! そうですよね、王士?」
 「……ああ、それでいい。俺は……」
 「大丈夫です、愛しい王士の願いは分かります。2度と殺しません。」
 「そうか。」
 「流は……」
 「いや、俺も分かる。ずっとそばにいて大切にしてやる。お前がどうなろうと、ずっとな。」
 「えへへ、さすが王士です。……じゃあ“いちにのさん”で始めですね!」
 「それでいい」

 俺は話しながら間合いを取る。
 付け焼き刃だが、しないよりマシだ。
 一方、流は最初の場所から動かずに、ニコニコと笑っている。

 互いの準備(俺の準備だけだが)が整ったのを確認して、流からカウントを開始した。

 「いち」
 「にの」
 『さん!!』

 同時に叫ぶと、俺と流は一気に間合いを詰めた。
 彼我の距離は5メートル。
 流の俊敏さを考えると、もう少し離れておきたいところだが、それでは有効打が与えられない。
 一撃目を避けての、反動をつけた一撃を当てる。
 俺が流に勝つとしたら、それしか方法がない。
 たとえ死ぬことになろうと、俺は負けるわけにはいかない。
 俺はやや前傾姿勢を保ったまま、腰を低く落として流に近付く。
 意識を流に向けた時には、彼女の顔がすぐそこにあった。
 互いに蹴りが届く距離――接近戦の距離だ。
 流が俺の胴めがけて、爪を突き入れようと真っ直ぐに腕を伸ばす。
 俺はそれを左手に持ったナイフで受け止めようとした。
 けれど、ナイフの刃はいともあっさりと流の爪によって折られる。
 それでも軌道をそらし、腰を落とすことで躱すことができたのだから予想通りだ。
 そう、流の言うように俺に人殺しはできない。
 素手で殴るのが精一杯だ。
 だから、その精一杯の気持ちと力を込めて、ただ一発だけ殴る。
 落としていた腰を引き上げる。
 充分にたまっていた体のバネと反動を拳に込めて、流の胸部めがけて繰り出した。
 狙いは違わず、攻撃を受けた流は思わず「うっ」と呻いた。
 胸を殴られると呼吸が苦しくなり、動きが鈍くなる。
 力も多少だが弱くなる。
 あとは流を押さえこめられれば、いい。
 体の動きを押さえこみに切り換えようとした時、俺は違和感に気付いた。
 流は抵抗するそぶりも見せずに、地面に倒れ込もうとしていた。
 右手の伸びた爪が体の内側、左胸の辺りへと向けられていた。
 その体勢のままなら爪が心臓に刺さり、致命傷となるだろう。

 「くそっ!」

 俺は左手で流を受け止めた。
 彼女の全身の重みがまともに左腕にかかり、骨と筋肉が軋みをあげる。

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