《MUMEI》

部活が終わったのが夜7時を過ぎた頃だった。夏の長い日も、あと少しで山の向こうだ。
夏の練習は面で顔が蒸れて、やたらと汗をかいてしまう。だからか、いつもは冷たく感じる夏の夜風が、俺の頬を掠めるたび、涼しく感じた。
辛い練習のおかげで、疲れもたまり、お腹もペコペコだったが、なんだかもう少しだけこの風を感じていたくなって、少し遠回りして帰ることにした。


俺は道を外れ、土手を下りて川を覗き込んだ。都会の汚れた水でも、こんな時は何故か澄んで綺麗に見える。目の錯覚だ。
川に沿って少し歩き、ガタンガタンと、電車が通るたびに音が響く鉄橋の下に来た。柱に、ペンキやスプレーで書かれた文字が目に入る。
意味もわからずに書いているだろう英語の横に、場に合わない文字。目立たないようにか、小さくかかれた「タスケテ」という文字が目についた。
近づいてよく見てみると、所々掠れていて、赤黒い血のようなもので書かれていた。
これはただ事ではないと思い、携帯を取り出して警察に電話しようとした時、バシャンと後ろの川で水が跳ねる音がした。
振り返ってみると、ワンピースを着た、髪の長い女の子が川の中に立っていた。
一体いつ来たのだろうかと考えていると、女の子は膝を付き、後頭部に手をあてて、勢いよく川の中に顔を沈めた。
俺は驚いたが、ズボンが濡れるのさえ気にせずに、急いで川の中に入り、女の子の顔を上げさせた。
女の子は水に濡れた顔で、目を丸くして俺を見た。咳と一緒に飲んだ水を吐き出して、しっかり呼吸を始めた。
俺は、女の子の背中をなるべく優しくさすってあげた。水で服も髪も濡れていて、体がすごく冷えていた。
顔も水に濡れて、唇も青い。いくら夏といえども、こんな状態では風邪を引いてしまうだろう。
そんな時、彼女の青い唇がぱくぱくと動いて、小さく言葉をつむいだ。
「死ねないの」
それと同時に彼女は涙を流した。俺は頭を殴られたような感覚に陥り、しばらく彼女の頬を伝う涙を見つめているしかなかった。

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