《MUMEI》
荒生先生の願望
 「王士にラブレターねぇ」

 思いがけない報告に、俺は素頓狂な声で答えた。
 しかも、夕食の準備中に聞かされたもんだから、手に持っていた鍋を落としそうになる。

 「ああ」

 テーブルに座り、今日の出来事について話していた少年は言葉少なに肯定する。
 この少年の名は石動 王士(いするぎ おうじ)。
 俺の妹である森川 流(しんかわ るう)と同じ高校に通う、平凡な少年だ。
 俺と流はある理由から、王士の家に同居している。
 さて。
 王士本人についてだが、これといって、とりえはない。
 顔は悪くないが、良くもない。
 勉強も運動もほぼ人並み。
 性格は臆病でものぐさを自称している。
 もっとも、本人は認めたがらないが、他者よりも正義感と情けだけは強い。
 とはいえ、それは今の世では長所とは言い難い。
 平凡にして凡庸。
 他にいい男などいくらでもいように、わざわざ王士にラブレターとは大した物好きもいたものだ。
 なぜか妹の流も王士にベタ惚れで、常に自分の好意を王士に伝えようとしている。
 …分からない。
 コイツに、異性としてなにか惹かれるものがあるのだろうか?
 友人等の関係なら、別にせよ……。

 「つまり……こういうことか?」

 俺は、たった今、王士から聞いた話をもう一度確認する。

「放課後に下駄箱を空けたら、ラブレターが入っていた。ラブレターの送り主は白雪 華恋。銀光学園の3年。あの学校の生徒なら、いわゆる“名門のお嬢様”というやつだな。彼女は3日前に男たちに絡まれていたのを、おまえと流が助けた相手だった」
 「ああ」

 俺の説明に、王士が相槌を打つ。

 「校門前に行ったら、ご本人が待っていた。もちろん流が黙ってるはずもなく、彼女と一触即発状態に。そこで手作りクッキーと彼女の連絡先が書かれたメモの入った袋を渡された」
 「そう」
 「その時に流が殺人鬼に変わろうとしているのを見たおまえは、流と一緒に慌てて帰ってきた…ということだな?」
 「それで合ってるよ、センセイ」
 「……ふう、それでスネて部屋から出てこないのか、流は」

 王士の確認を取れたことで、俺の疑問は氷解した。
 帰ってきた流が部屋に入ったきり、まだ一度も出てきていない。
 いつもとは違う妹の様子に、正直やきもきしていたのだが。
 なるほど、納得だ。

 「……なあ、センセイ」

 王士は深刻な顔で、俺に尋ねる。
 言いたいことは、だいたい予想がついている。

 「流の殺人衝動は人間全体に対する、天罰のようなモノだって言ったよな? ――でも、もし、森川が特定の誰かを憎んでいたら……どうなる?」

 やはり、それか。
 流は、人を嫌だと思った時、ストレスを受ける。
 そのストレスがきっかけとなって、無差別に人を殺す殺人鬼と化す。
 恐ろしいほど正確に、早く。
 まるで殺戮機械が自動的に動くかのように。
 その時、その場にいたモノ全員を、だ。
 そして、流が殺人鬼になるのを止めることができるのは、唯一、王士のみ。
 衝動に襲われた流には、王士の言うことしか聞こえない。
 だから、流のそばには常に王士がついていてやる必要がある。
 これが、俺と流が王士の家で共同生活を送る理由だ。
 また、流の衝動は、当事者であろうがなかろうが殺す天罰のようなもの、と王士には教えてある。
 だが、それが全てと言うじゃない。
 

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