《MUMEI》

出された茶を一気に飲み干すと、早々にその場を後にと踵を返す
出て行こうとした矢先、何故かまた引き留められていた
何事かと振り向けば
「……杜に行くのなら、気を付けなさい。あそこには、幻影の原種が群れているから」
「幻影の、原種って……何だ?」
解らず滝川は問うが、相手は何も答えず
もう帰れと促され、滝川はそのまま踵を返すと家路へと着いていた
幻影に原種があったという事実が気に掛かりながらも
取り敢えずは戴いた蝶を深沢へと自宅へ
「望、帰った――」
中へと入れば、部屋の奥からえづく声が聞こえてくる
ソレが誰の呻き声かなど言わずもがな
滝川は慌てて其処へと向かう
「望!?」
向かったのは、台所
其処の流しに両手を付き血液と胃液を吐き出すばかりの深沢
滝川の帰宅に気づき向けてきたその顔は、酷く青白かった
その身体が崩れ落ちてしまう寸前、滝川はその身体を支え床へと座り込む
腕に抱けば、小刻みに震えていて
そんな深沢へ、滝川は取り敢えず落ち着かせてやろうと口付けてやれば
戴いてきた蝶が光る事を始める
「な、何……」
突然の事に滝川は驚き、一体何事かと部屋中を飛び回るその様を眺め見れば
とある場所にその蝶は止まった
ベッドのヘッドボード
そこに、シガレットケースが置かれている事に気が付いた
普段煙草を吸わない深沢にそぐわないソレを取って見てみれば
その中にあったのは骨で形作られた蝶々
その骨組へ戴いた蝶の姿が重なった次の瞬間
滝川の視界が突然に白濁に染まり、その白の奥に何かが見え始めていた
泣く赤ん坊と、その赤ん坊を抱きあやす女性
そして傍らには今より若干若い感じの深沢の姿があった
見えたその二人はおそらく深沢の妻子
幸せだった頃の、ほんの僅かな記憶
見えたかと思えばすぐに消えて
そして自身へと戻ってきた滝川の前へ
羽ばたく事をする二羽の蝶が居た
その二羽はまるで深沢を労わる様に寄り添い
深沢の額へと停まるソレへ手を触れさせると、途端に呼吸が穏やかになっていった
(せめて、生き続ける事が苦でなくなる様に……)
微かに女性の声が聞こえた様な気がして
滝川は思わずその蝶を見上げていた
姿は変われど、深沢を思う事は未だ強いのだと、その事にどうしてか安堵する
「望、調子どうだ?まだ辛い?」
顔色が僅かだが良くなった深沢へ顔を覗き込む様にして問えば
その口元に、深沢らしい笑みが漸く浮かんだ
「ぼちぼちってとこだな。じゃ、行くか」
寝ばかりですっかり寝ぐせづいてしまった髪を手櫛で適当に整えると
寝巻に着ていたパーカーを脱いで捨て、洗いざらしのシャツを羽織る
家を出ようと踵を返した、直後に
深沢は飛ぶ二羽の蝶を柔らかく指で挟むと、それを滝川の手の平へ
「望?」
両手でそれを受け止めながら、小首を傾げて向ける滝川
答えるより先に、深沢は滝川の身体を抱きしめていた
「……そいつら、お前に預けるわ」
「俺に?何で?」
二羽の蝶々、それはつまり深沢の家族で今の彼には生を営む止めに無くてはならないもの
そんな大切なモノを、と蝶々と深沢の顔を交互に、滝川は驚いた様に眺め見る
「でも、こいつら傍に無いとお前しんどいんじゃ……」
「テメェが俺の傍から離れんかったら問題ねぇだろ」
「そ、かもだけど……。でも、俺なんかが持っててもいいのか?」
首を傾げながら問うてくる
この二羽の蝶は深沢にとって大切なもので
そんなものを自分が持っていても、と滝川は考えたらしかった
そんな滝川へ深沢は微かに肩を揺らすと
「……お前に持ってもらってた方が安心できる」
耳元へと唇を近づけ、そう告げる
そのまま滝川へと口付けると、その手を取り家を出た
外は、雨
音も静かに降る中、深沢達は傘もささず、濡れながら歩く事を始める
焦る事もせず唯ゆっくりと歩く深沢達のその前に
突然車が一台停まった
何事かと訝しんでいると、その車の窓が開き中川が顔を出してきた
「アンタ達、何してんの?」
すっかり濡れてしまっている深沢達へ
呆れた様な顔を向ける中川へ
移動する際の脚が無い事を深沢は愚痴る
中川は溜息をつくとそのまま何故か車を降りていた
「……乗っていきなさいよ。貸してあげるから」

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