《MUMEI》
アイロン
美里は足を上げて何とか手に絡む手ぬぐいをほどこうとするが、うまく行かない。
(瑠璃花。もちろん応援を呼んでくれたんだよね?)
美里は思わず走れメロスを思い出した。友を疑ってはいけない。必ず助けに来てくれる。
その瑠璃花は、夜月に使うはずの催眠スプレーで自分が眠らされ、気づいたときには男の部屋にいた。猿轡をされているから声が出せない。
服は脱がされていないが、無念にも両手首を自分の手錠で後ろ手に拘束されていた。警察官にとっては屈辱的だ。
男は瑠璃花の警察手帳を持って震えている。
「あんた、刑事さんだったんだ?」
「んんん」瑠璃花は、男に弱気な目を向けてもがいた。
「もう手遅れだよな?」
「んんん!」瑠璃花は激しく首を左右に振る。
男は、瑠璃花が用意したスタンガンを手にした。彼女は目を丸くして怯える。
「頼む。許してくれ」
「んんん」瑠璃花は何度も頷いた。
しかし男は汗だくで蒼白。スタンガンを持つ手が震えている。
「頼むよ」
「んんん」
一方、美里は。諦めずに両手首をほどこうと必死だったが、足が疲れてきた。一旦両脚を伸ばして休む。
そのとき。夜月は美里の足首を掴みながら立ち上がった。
「しまった!」
一瞬にして右足を足枷にはめられてしまった。夜月は危ない笑顔で左足も狙う。
美里は左足で蹴る。夜月は左足を掴むと立ったままアキレス腱固め。
「あああ!」
激痛が走る。ついに左足も拘束されてしまった。もはや万事休すだ。
「テメー。よくも」
美里は弱気な顔で言った。
「ちょっと待ってよ。あたしだって必死なのよ」
夜月はベッドの下からアイロンを出した。美里は縮み上がった。
「それはやめて、それはやめて!」
夜月は無慈悲にも、アイロンを美里のおなかに押し当てる。
「ぎゃあああああ!」
美里は横を向いて力が抜けた。安堵と無気力なため息を吐いた。
「クックック」
夜月は勝ち誇ったような笑顔で美里の横顔を見る。
「ぎゃあって美里。そんなにアイロンが冷たかったか?」
「はあ、はあ、はあ…」かわいそうに汗だくだ。
「バカだな美里。俺がそんな残酷なことするわけないだろ」
ガックリとする美里に、夜月が迫る。アイロンをおなかに乗せたままだ。これも一種の脅しだ。
「美里。俺を殺そうとしたの?」
「まさか」
「死ぬかと思ったぞ。絞め殺そうとしたんだろ?」
美里はうつろな瞳で夜月を見つめた。
「あたしは警察官よ。そんなことするわけないでしょ」
「何が武道をやってないだ。嘘つきめ。ちゃんと謝りな」
悔しいけど、無抵抗では逆らえない。
「ごめんなさい」
「かわいい」夜月は感動の面持ちだ。「わかった。許してあげる。俺って優しいだろ?」
美里は横を向いた。夜月はアイロンを触りながらしつこく聞く。
「俺って優しいだろ?」
「優しいわ」
「よし。アイロンは勘弁してあげる」
夜月はアイロンをしまうと、悪魔の笑みで疲れ果てた美里を見下ろした。
「美里。痛い目は許してあげるけど、悪い子にお仕置きは必要だよな」
美里は唇を噛んだ。まだ拷問が続くのか。哀願して許してもらおうかという弱い気持ちも出かかったが、美里は強気を奮い起こし、夜月を見すえた。

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