《MUMEI》

何所へ行くかなど言わずとも解っている様で
そして深沢へと向いて直ると
「さっさと行って、さっさと帰って来なさいよ。もう若くないんだから」
それだけを伝え、中川は徒歩にて帰路へと就いて
その肩を、すれ違い際に礼代りに叩いて返すと、穏やかな笑みが向けられた
「……行くか」
中川の姿がすっかり人混みの中へ紛れたのを確認すると
深沢は車へと乗り込み、そして走り始めた
流れ、過ぎて行く景色は相変わらずで
降る雨は段々とその強さを増していく
水滴が車体を打つ音
普段なら気にもかけない筈のソレが、今はひどく耳に障った
「……望、大丈夫か?」
余程小難しげな顔でもしていたのか、不意に滝川の手が頬へと触れてくる
心配気なその顔に
深沢は微かに肩を揺らすと、口元に笑みを浮かべた
その笑みに空気が和らいだと安堵した直後
一際酷き雨が降り始めていた
薄暗くなった外を窓越しに眺め見れば
雨粒が次々にガラスへと弾け
その水滴が弾けたと同時、全てが蝶へとその姿を変えていた
フロントガラス一面がその彩りに覆われ
何も見えない程濃いソレに、深沢はブレーキを急に踏み込んで止まる
その彩りが広がれば広がる程に
胸を圧迫されるような息苦しさが深沢を苛む
苦しくて、苦しくて
それから逃れたいと、深沢は滝川の腕を唐突に引き寄せていた
「望?」
いきなりなソレに
滝川はどうしたのかと、自身の肩へと伏せ込んでいる深沢の顔を上げてやる
上げさせた深沢の顔は不安げなソレ
滅多見せる事の無いその表情に
滝川は両の手を伸ばすと、深沢の頬へと触れていた
「どうだ?少しは、落着いたか?」
顔を覗き込んでくる滝川と、その周りを飛ぶ三羽の蝶々
大切なモノ、傍にあって欲しいと求めていたものが全て目の前にあった
深沢は滝川へと触れるだけの口付けをし、そしてその手を引いて車を降りた
群れる蝶達はまるでそれを待っていたかのように、深沢達の周りを一度回って飛ぶと
杜の奥へと、導くかの様に入っていった
その後を追って、深沢達も杜へ
奥へ奥へと進み、そして開けた其処にはやはり集落
だが、その様子は以前とは随分と違っていた
「……蝶の、死骸?」
まるで満開の花畑かと見間違うほどに
その彩りは鮮やかに土を覆う
「やはり、また来ましたね」
その様に呆然と立ち尽くす背後から聞こえてくる声
向いて直れば、そこにはやはり蜘蛛が立っていた
老婆を引き連れ、態々出迎えに来たのか、深沢達へ笑みを向けてくる
「……随分と様変わりしたな。一体、何の騒動だ?」
辺りを見回し、怪訝な顔で問う深沢へ
蜘蛛は益々笑みを浮かべながら
「……皆、幻影の毒に中てられ死んでしまったのです。私は唯、永遠を望んだだけだったのに」
その表情に全くそぐわない惨事を口にしていた
土の上へと座り込んだ蜘蛛は、そこへ散らばる蝶を徐に一羽
その細い指で挟むようにして取ると、それを口へと含む
何羽も、何羽も大量に
その内に飲み下せなくなり、蜘蛛は蹲ると口内の蝶を全て吐いて出していた
「蜘蛛様、お止め下さい。私はこれ以上貴方様に堕ちて欲しくなど無いのです」
何度も何度も繰り返す蜘蛛へ。老婆が止める事をすれば
だが蜘蛛は首を横へ振り、蝶を食む事を続ける
「……そんな事、今更です。貴方も、私を蔑んだくせに」
「蜘蛛、様……?」
「あなたは蝶に憑かれてしまった私を責めた。そしてその報いにと私に蝶を食ませた」
「そ、それは……」
「蝶に憑かれたモノに取って同族食みは如何なる理由が有ろうと禁忌。それを犯してしまった私の蝶は蛹へと戻り、そしてその蛹から生まれてきたのが」
満面の笑みを浮かべ、これだと見せてきたのは
一匹の、蜘蛛
「それがこの子。私がこの蜘蛛に憑かれて以来、村の蝶達に異変が起きた」
「異変……?」
滝川が続きを疑問符にて促せば
蜘蛛は口元で薄く笑うと深沢の傍らへ
正面に向かい合うと、深沢の頬へと手を伸ばし
「……雨に降られてしまえば、死んでしまう様になってしまった」
触れ、そして手を離すと蜘蛛は徐に指を差す
そちらへと向いて直れば、そこにあったのは立ち並ぶ樹木達
その全てが、何故か白く霞んで見える
その白は木々に絡んだ蜘蛛の糸で

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