《MUMEI》 諍い. 不意に、回廊から衣擦れの音が微かに聞こえ、読み物に目を落としていた濃は、フッと顔を上げた。その音は一定の速度を保って、段々と濃の部屋へ近づいて来る。 ゆっくりと視線を巡らせた時、几帳の向こうから、「失礼致します…」と、低い男の声が響いた。 織田家の家老・平手正秀の声だ。 濃は静かに書物を片付け、「どうぞ…」と答える。 濃の返事のあと、正秀はゆっくりと姿を表した。 「お休みされているところ、恐れ入ります…」 やんわりとした口調で濃を労う言葉を発した正秀だが、その表情は固いものだった。 彼は濃の部屋へやって来るなり、キョロキョロと中を見回した。 不思議に思って、濃は正秀の顔を見つめ返し、「お気になさらず…」と呟く。 「それよりも如何されましたか、平手殿」 「何かお探しでも?」と続けて尋ねた彼女に、正秀は少しバツの悪そうな顔をして、「いや…」と呻くように言った。 「殿はこちらにいらっしゃらないのですか?」 それを聞いて、濃はようやく理解した。正秀は、信長を探しているのだ。 濃は正秀の目を真っ直ぐ見つめ返して、小さく首を横に振る。 「殿はいずこかへお出かけになりました」 濃が着替えの為に各務野を呼んだ際、信長は彼女と入れ替わるように濃の部屋から出ていってしまった。 どこへ行くのか尋ねたのだが、彼はそれに答えることもなく、勝手気儘に部屋をあとにした。そんな振る舞いはいつものことであったので、濃自身、別段気に留めもしなかった。 前へ |次へ |
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