《MUMEI》 階段. ―――それは、数日前のこと。 その日、俺は仕事で外回りを独りで任されていて、取引先から本社へ戻る途中だった。 電車の方が便利だと聞いていたから、俺にしては珍しく、車では出かけなかった。 通りを挟んで向こう側に駅があったが、車のトラフィックが激しく、なかなか渡れないので、すぐ近くにあった歩道橋を使うことにした。 そびえ立つ高層ビルの間から覗く、美しい空。 階段を登る度、そのセルリアンブルーに近づいていくような気がして、少し、嬉しかった。 普段は階段なんか面倒に思うのに、気の持ち方次第で不思議とフットワークも軽くなる。 そうやって歩道橋の階段を、ゆっくり登りながら、空に見とれていた時、 携帯が、鳴った。 しかも、仕事用のものではなく、プライベートの方が。 電話番号を確認したが、見覚えがない。携帯のメモリーにも登録されていないようだった。 不思議に思ったが、とりあえず、その電話に出てみると、 「…もしもし、あの…片倉 修平さんのお電話でお間違えないでしょうか」 聞き慣れない、くぐもった女の声が、流れ込んできた。 電話に気を取られ、つい階段を登るスピードが、遅くなる。 俺は、「そうですけど…」と相手を推し量るように呟いた。 「どちら様ですか?」 不躾かと思ったが、尋ねてみた。女の声も聞き覚えがなく、あまりピンと来なかったからだ。 . 前へ |次へ |
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