《MUMEI》

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わたしは、その棚に近寄り、絵本を手に取る。眼鏡越しに表紙を眺めて、懐かしい気持ちになった。



―――まだ、生徒だった頃、



暗記した文章を発表する、という試験があった。


教材は個人に任せるとのことだったので、悩んだあげく、わたしはこの絵本を選んだ。


無邪気で、純粋で、素朴で、

でもどこか、寂しくて。


そんな『星の王子様』が、わたしは大好きだった。



そうやって、しばらく絵本を眺めていたわたしの耳に、



「こんにちは」



伸びやかな声が、流れ込んできた。



わたしはゆっくり振り返る。


背後にいたのは、見知らぬ男の人だった。


ダークグレーのスーツを着て、清潔感のある真っ白なワイシャツの首元にはライトブルーのネクタイ。足元の黒い革靴は、きれいに手入れされていた。

髪は短く、それによって彼の細面の輪郭がよりシャープに見える。


どこからどう見ても、サラリーマン風の人。


わたしの生徒の中にもサラリーマンはいるけれど、この目の前にいる人には見覚えがない。


不思議そうにしているわたしに、彼は優しそうに目を細めて、微笑んだ。


「突然、すみません。ちょっとお伺いしたいのですが」



―――それは、清々しい春風を思わせるような、心地の良い抑揚だった。



たったの一瞬で、わたしの警戒心を解く程に。



彼の言うところによれば、校内にある図書館の場所を教えてほしいとのことだった。

校舎は造りが複雑で、こんなふうに道を聞かれることも多かったので、わたしは快く答えた。

「図書館だったら、1階の事務所前の廊下をまっすぐ進んで、突き当たりにありますよ」

簡単に説明すると、彼はわたしに礼を言い、すぐに立ち去った。


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