《MUMEI》

「生きたいか」

 死に神のような影の口から紡ぎ出された言葉の意味を、しかし血を流し過ぎたライナスには理解出来なかった。間を置かず再び影の陶磁のような唇が動き、まるで悪魔が囁くかのような声音で、呪文のような言葉を紡ぎ出す。

「生きたいか――。

 目的果たせぬまま土塊と帰す事を善しとせず、闇の中で泥に塗れ、血を啜り、この世の全てに背を向けてでも、胸に誓いし暗き願いを果たす為に。

 ――選ぶがいい。目前にまで這い寄った安寧の死と、煉獄の焔に灼かれる苦悶の生のどちらかを」

「ぅ……ぁ……」

 何が映し出されているのか解らない虚ろな瞳で影を見つめ、必死に声を出そうとする。だが、肺が傷つき漏れる空気は言葉にならず、代わりに粘ついた血の泡を吹き零すのみに留まった。

「……どうやら見込み違いだったようだな。所詮はこの程度の男か……」

 暫くそれを黙って見ていた影だったが、程なく嘆息しライナスを見限るとそのまま踵を返そうとした。

「い……きた、い……」

 その背に掛かる、ともすれば末期の喘ぎ声にしか聞こえないような弱々しい掠れ声。振り返ると、虚空にある何かを掴もうと、血の気の失せた蒼白の右手を必死に伸ばすライナスの姿。

「例え、主に……背くことになろうと……例え、悪魔にこの魂……を売る……ことになろうと、俺には……成さな……ければ、ならない事、がある……」

 血の泡と共に言葉を絞り出す彼の虚ろだった瞳には、どす黒い憎悪の炎が揺らめいている。

「生き……た、い」

「善い答えだ。その願い聞き届けてやろう」

 帽子の下。丸ぶちのサングラスの奥で金と銀の瞳が怪しい光を放つと、影の口の端がにっと笑みの形に歪む。

 その笑みを最後の記憶にライナスの意識は、深い深い水底へと沈んでいった。

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