《MUMEI》
二人の糸
.


―――信じられなかった。



『夢のよう』、というのは、まさにこのこと。



すでに黙り込んだ携帯電話を握りしめたまま、わたしはその場から動けなかった。



******



電車に揺られて家に帰ってから、わたしはトートバッグの中から、川嶋の名刺を取り出した。

ラボでそうしていたように、何度も裏返しては見つめていた。


―――連絡、待ってます…。


脳裏に、彼の声が響く。


彼は、わたしと話がしたいと言っていた。

何についてなのかは、全く見当が付かない。



真意が、読めない。



普段なら、きっと、こんな名刺はすぐ捨ててしまうのに、何故かこの時、そんなことはどうしても出来なかった。


揺れる気持ち。

懐かしい感覚。


それらがわたしの胸に溢れて、ごちゃごちゃに混ざり合って、



―――気づけば、

自分の携帯電話を手に取っていた。



数コールの後、


『…もしもし』


柔らかい男の声が、流れてきた。


呼び掛けられてもわたしは、何も言えなかった。頭が真っ白で、言葉が出てこない。

不思議に思ったのだろう。彼は、もう一度、呼び掛けてくる。


『もしもし…?川嶋ですが…』


心の奥まで染み渡るような、その、声。やっぱり、どこか懐かしさを感じる。


それが何故なのか、判らないけれど。



小さな、本当に小さな声で、「あの…」と、呟いた。


「お昼に…語学学校で名刺を頂いたものですけど…」


精一杯、言葉を紡いだ。呟いたその声が、緊張で震えてしまった。

いいえ、それ以前に、

携帯電話を握りしめた手が、小さく震えていた。


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