《MUMEI》 . わたしを乗せた車は、夜の街を滑らかに走り抜ける。 「今夜は静かですねぇ…」 次々と流れゆくネオンを見つめていると、運転手が話しかけてきた。 わたしが運転手の背中を見つめると、彼は話を続けた。 「普段ならもっと人がたくさんいて賑やかなんですけど…不況のせいかなぁ」 そこまで言って、運転手は軽く笑った。きっと、わたしを安心させようと、どうでもいい話題を振ってくれたのだろう。 彼の気持ちをくみ取り、わたしも愛想笑いを浮かべ、「そうですね…」とだけ答えた。 いつの間にか繁華街を通り抜け、閑静な住宅街に入った。小学校の角を右折し、長い坂道を登りきると、間もなくして近代的な大きい建物にたどり着く。 目的の病院だった。 タクシーはそこの正面玄関にある車寄せに入り、静かに停車した。 「お世話さまでした」 わたしは運転手に礼を述べながら料金を支払い、タクシーから降りる。空車になったタクシーは、すぐに発進し、再び夜の闇の中へと溶け込んでいく。 深い闇の中で、真っ赤に輝くブレーキランプが遠退いていく様を眺めてから、わたしは病院の中へと入って行った。 ****** ―――静まり返った廊下をゆっくり歩く。 カツン…カツン…とわたしの足音だけが、虚しく反響した。 廊下には、入院病棟独特の薬の匂いや、甘ったるい加齢臭に満ちている。 大きな病院の、6階にある外科病棟。 その東側の、一番奥にある、病室へ向かった。 人も疎らなナースステーションの前を通り抜け、ようやく目的の病室にたどり着いた。 わたしは立ち止まり、大きな引き戸の前にかかっているプレートを確認する。 そこには、『山本 要次』という名前が素っ気なく書かれていた。 ため息をつき、その引き戸を、2、3度ノックをしてから、わたしは返事を待たずにゆっくりドアを引いて病室の中に入った。 . 前へ |次へ |
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