《MUMEI》 . その病室は個室だった。 部屋の中には、テレビ、冷蔵庫、ビュロー、トイレ、シャワー、クローゼット付きキャビネットなど、人が暮らすに当たって必要最低限のものが、小さいながらもきちんと設置されている。わたしが住んでいるアパートよりも、住みやすいのではないかと思うほど、それは充分過ぎる設備だった。 その部屋の奥には大きな窓があり、その前に病院用のパイプベッドが置いかれていて、唯一、それが、ここが間違いなく病室であるのだと認識させるものだった。 ベッドの上には男の人が、わたしに背中を向けて、横になっていた。 彼の腕には細いチューブが通され、ベッドサイドに置かれた点滴用のスタンドに吊り下げられている、透明な液体が入ったビニールに繋がっていた。 腹部にもチューブが繋がっていて、それはベッド脇に取り付けられた別の袋に直結している。 たくさんの管を繋がれた彼の身体は、異常な程痩せ衰えていて、わたしと同じ人間とは、到底思えないくらい、異質な存在感を放っていた。 男の人は、わたしが部屋に入ってきたことに気づかないのか、こちらを見遣ることもなく、微動だにしない。 「…おとうさん?」 昔よりもずっと、小さくなってしまったその彼の背中に、わたしは声を掛けた。 少し間を置いて、彼―――父は微かに唸りながら、ゆっくりとこちらへ寝返りを打った。 落ち窪んだ瞳を真っ直ぐわたしに向け、父は「…皐月か?」と掠れた声で呟いた。 「珍しいな…こんな時間に来るなんて」 父の独り言に、わたしは頷き返す。 肩に掛けていたトートバッグをビュローの上に置き、「仕事、早目に終わったから…」と答えて、傍にあった椅子に浅く腰掛けた。 「…気分はどう?」 父の顔を覗き込みながら、なるべく明るい口調で尋ねたのだが、彼は忌々しそうに首を横に振った。 「最悪だ…身体が全然、言うことをきかない」 呻くように言った父に淡く微笑みながら、「薬が効いてる証拠だよ」と穏やかに励ました。 . 前へ |次へ |
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