《MUMEI》

何とか追いつき、置いて行かれない様、藤田の袖を掴んでみた
その引きに僅かに首を巡らせた藤田だったが
それ以上何を言う事もなく、井上のしたいようにさせてやる
「ねぇ。一つ聞きてもいい?」
「何?」
「私ってさ、家に帰れたりするわけ?」
「は?」
井上からの問いに、どうやら考えていなかった事だったのか藤田は聞き返して
互いが互いに顔を合わせる
「ねぇ、どうなの?」
「……俺に聞くな」
深々溜息をつき、また歩き始める藤田
解らない事をその場で考え込むより、当人に聞いた方が早いと
家路を揃って急いだ
「お帰りなさい。二人とも」
にこやかな笑みに出迎えられ、藤田は買って帰った茶っ葉を奥方へ
渡そうとすれば、その茶を淹れる様藤田へと頼む事をする
一礼し、藤田は言い付け通りに茶っ葉を持って台所へ
後の残された二人
どうにも居心地が悪く、視線ばかりを泳がせる井上へ
奥方その様を見、柔らかな笑みを浮かべる
「……あの子、今どうしているのかしら」
その笑顔も瞬間、売れる様な表情へと変わり
井上の頬へと、まるでその存在を求めるかの様に手を伸ばしていた
「あ、あの奥様……?」
唐突なソレに井上は当然うろたえ
元々定まっていなかった視線が益々定まらなくなってしまう
「……そうだわ。貴方に代わりに出て貰おうかしら」
「え?」
ぼそり独り言を呟いた奥方
一体何の事か解る筈のない井上が首をかしげて見せれば
満面の笑みが返された
「今晩、うちの会社の関係でちょっとしたパーティーがあるの。それでね、清正付きで構わないから、あなた出て貰えないかしら?」
「パ、パーティーですか?」
「ええ。私、ちょっと都合が付けられなくて出られなくて。引き受けて貰えないかしら?」
「で、でも私なんかが行っても……」
「大丈夫よ。清正がちゃんとエスコートしてくれる筈だから。じゃ、頼んだわよ」
「あ、あの奥様……!」
会話は一方的に進み、漸く反論しかけた矢先
だがそこで丁度藤田が茶を持って現れてしまった為、タイミングを失ってしまう
「清正。今夜のパーティー、彼女が行ってくれる事になったから」
頼むわね、と告げられ
突然のソレに、何の事かが瞬間解らなかった様子の藤田は怪訝な顔で
しかしすぐに思い当たる節があったのか
深々溜息つき、髪を派手に掻き乱していた
「それじゃ、二人共。お願いね」
ソレを諾と受け取ったらしい奥方は柔らかな笑みを浮かべ
手を振って向けると、そのまま自室へと入っていった
戸が閉まる音と同時
傍らから藤田の深い溜息が聞こえてくる
「……面倒押しつけやがって。あのババァ」
「清正?」
独り言を呟く藤田
井上の呼びかけにも答えず部屋を後にし、そしてすぐに戻ってきた
「何?それ」
手に持ってきたのは一着のドレスで
藤田はソレを無造作に井上へと放って寄越す
いきなりのソレに反応出来ず、それを顔面で受け止める羽目になった
「マヌケ」
「な……!」
余りなその言い草に反論し掛け
だがそれをせずに上目遣いで睨んでくる井上に
藤田は溜息をつき、宥めてやる様に頭へと手を置いてやる
「子供扱いする気?」
口汚いが髪を梳いてくる手は優しく
暫くそうされている内に、怒りも収まっていた
「何か、ずるい」
「は?」
「行き成りそんなことされたら文句なんて言えなくなる。だから、ずるい」
顔も真っ赤に伏せながら
井上は未だ髪を梳くその手を指差す
ソコで漸く藤田は自身が無意識にしていた事に気付き
頭の上で一度弾ませるとその手を退けていた
「落ち着いたんならさっさとソレに着換えろ。すぐに出掛ける」
行って終わると踵を返し
車を出してくる、と僅かな笑みを井上へと向け藤田は部屋を後に
音も静かに戸が閉まると、井上はその場へと座り込んでしまっていた
「……何であんなに格好いいの?反則じゃない」
文句を呟きながら、結局は藤田の容姿の良さの前に完敗の井上
着替える事もすっかり忘れ、暫くそのまま照れに顔を赤らめ続けたのだった……

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