《MUMEI》
14
もつれる足で薄暗い廊下を行く。頭は揺れるが、心地よい。久々に嬉しい酒を呑んだ。
目元は朱に染まり、シャツはよれよれ、斜め掛けの鞄は全開で、髪は寝起きのよう。

「あらぁ先生」

ぬ、と目の前に女性の足。
冗談のような赤いピンヒールを履いている。

「大家さん」

妖艶な女性が、大層なスリットのワンピースを着て、パイプ椅子に腰掛けている。アンバランスだが、いつものことだ。
ミトが教職に就いていることを知ってから、からかい半分で先生と呼ぶ。

「何かいいことあったんだ」
「わかります?」
「先生わかりやすいもの」

「教え子がね、無事に初任務から戻ったんです」

「それはめでたいわ」
「でしょう」

「これから祝杯?」

ミトの部屋を顎でさしてにやり、
「あのイケメン、来てたわよ」

誰のことかわからないわけがない。
夜風が頬に触れ、心地よい熱を奪う。曖昧に頷きながら、ミトは凪いだ気持ちが一気に高揚していくのを感じていた。

遂にきたか。

拳をにぎりしめ、凱旋するかのように鼻息荒く自室へ向かうと、玄関前に男がひとり。勲章だらけの軍服を着込んだまま。

「かなでさん」

「あぁミト、お帰り」
男が顔を上げた。

「こんなところで、どうしたんですか。お茶でもいれますよ。どうぞ」

平静を装い、鍵を開ける。

「いや、ここで」
「ここで?」
「あのな、ミト」

男が俯く。
視線を外されたのだ。

「何でしょう」
「うん…」

とっとと言え。
ミトが一喝しかけたとき、

「別れよう」

ど真ん中ストレート。
あまりの破壊力に、耳から入った言葉をかみ砕くのが遅れた。

別れよう。


ミトは黙って頷き、劣等感や絶望感、悲しいことも楽しい思い出も、全てしまい込んで口を閉ざした。

一度も振り返ることなく去る男の背中を、霞がかった視界の端にとらえた。
涙は滲みもしなかった。

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