《MUMEI》

冬に尾張に輿入れを済ませてから、もうすぐ春を迎えるというのに、濃と信長はまだ、夜を共にしたことがなかった。

昼間二人でいる時は、信長は濃に嫌味ばかりを口にしているし、夜になれば彼は濃をひとり残して、自分の閨へ戻ってしまう。

正秀はすべてを見透かしたような目をして、呆然としている濃を恭しく見つめた。

「殿はいずれ、この尾張全てを受け継ぐ方…御方様は殿の良き妻になって頂きますよう、この政秀は、切に願っている次第でございます」

濃はぼんやりと政秀を見つめる。彼は真っ直ぐ彼女を見つめ返していた。その瞳には、ただ敵意しか映っていない。


完全に、濃のことを見下しているのだ。


…なんということでしょう!


濃はあまりの衝撃に、言葉を無くしてしまった。

今まで、『美濃一の才女』として持て囃されてばかりいた濃にとって、これほどの屈辱は無かった。

政秀は黙り込む濃の前に座して、指をつき、そのままゆっくり頭を垂れる。

「御方様に、下世話なことを申し上げ、無礼極まりないことは重々承知しておりますが、どうか、この政秀の思いを、御方様にはご理解頂きますよう…」

わざとらしくかしこまった言い方に濃はウンザリして、「…良いでしょう」と顔を背けて答えた。

「平手殿…確かに、わたしも織田の人間として至らなかったことと思います。今後は、殿の良き妻となりますよう、さらに精進致します故…どうぞ、お下がりください」

吐き捨てるように告げた濃を、政秀は今一度見上げて、それから再び頭を下げると、黙って濃の部屋から出ていった。


遠退いていく政秀の足音を耳にしながら、独り残された濃は、込み上げてくる屈辱に、小さく身体を震わせていた。



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