《MUMEI》

ホテルに戻ると、彼はワインを開けた。

ここへ来る途中で買ってきたワインだ。

グラスは部屋に備え付けられていたので、俺は2つのグラスをテーブルに置いた。

「お前の頭痛の種、一つは減ったな」

「おかげさまで。しかし『本命』はまだですが」

「『本命』ね」

注がれたワイングラスを持つと、彼はグラスを合わせた。

「それでは、良き秘書の苦労を労って」

「…それはどうも」

ワインを一口飲むも、正直味なんて分からない。

…この男の近くにいると、全ての感覚が鈍くなる。

「相変わらず、オレを殺したくてたまらないのか?」

目の前のソファに腰掛けた男を、俺は力の限り睨み付ける。

「当然でしょう? その為に、俺はあなたを守り、側にいるんですから」

他の誰にも手出しが出来ぬよう、傷付けられぬように、俺は彼の側にいる。

―俺が彼を殺す為に―

彼は10年前から、力ずくでの人事異動を行っていた。

23という若さで会社を立ち上げた彼は、いわゆるワンマン社長。

そして犠牲者となったのは、俺の家族もだった。

当時営業をしていた父だが、取り引き先に騙され、会社に損失を与えてしまった。

その失敗はクビというだけには収まらず、損失は借金となった。

両親はそれを苦に、一家心中を提案した。

だが…俺は生き残ってしまった。

姉も弟も、両親と逝ってしまったのに、俺だけが生き延びてしまった。

そんな俺がすることはただ一つ、『復讐』だけだ。

彼は事件後、俺を引き取った。

自分に弓引く者だと知っていて、それでも養い、今では秘書として側に置いている。

その真意は分からないが、俺は今の立場を十分に利用させてもらおう。

いずれ、その息の根を止める為に。

「楽しみだな。お前がオレをどう殺すのか」

「あなたが思い付かないような殺し方をしてあげますよ。ここまで養ってもらった恩もありますしね」

「なるほど。それじゃあお前に殺される日までは、仲良くしようじゃないか」

「ええ。あなたのことは、俺が自分の全てを以て守ってさしあげますよ。他の人に傷付けられでもしたら、たまったものじゃないですからね」

彼は俺だけの獲物だ。

「それじゃあ、2人の関係を祝して」

「乾杯」

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