《MUMEI》

それに虚をつかれた様な藤田の顔が視界の隅
そしてすぐに微かに笑う声が聞こえた
「な、何!?」
「別に。何も」
恥ずかしさに顔を朱に染めながら漸く藤田へと顔を向ければ
笑いを堪えながら取ってきてやる、と一言でその場を離れる
人ごみに塗れ、消えていく藤田の背中
ソレを見送り一人になった井上はほっと胸を撫で下しながら
「……何で私こんなにドキドキしてるんだろ。変、なの」
藤田を前に動揺するばかりの自分を笑っていた
暫く一人笑う事を続け、漸く治まった次の瞬間
「何か楽しそうだね」
横から不意に伸びてきた手に肩を叩かれる藤田が戻ってきたのかと向いて直ってみれば
しかし其処に居たのは
以前、街中で出会ったあの青年だった
「久しぶり。元気してた?」
にこやかな笑みで挨拶が寄越され
だがあの忠告の件もあってか、井上は怪訝な顔だ
「うわ、すっごい微妙な顔。僕ってそんなに胡散臭い?」
「すごく」
「はっきり言うね……」
「で?私に何か用なの?」
用事があるならさっさとしろ、と急かす井上に
相手の表情がほんの僅かだが険しいソレへと変化する
「……こんな平平凡凡の子の何がいいんだよ。清正の奴」
「え?」
相手の呟いた声。聞きとれずについ聞き返して見れば
瞬間に硬く見えたその表情は和らぎ、また笑みを浮かべて見せる
「……何でもないよ、こっちの話。じゃ、僕もう行くね」
親しげに手を振ると、相手はその場を後に
それと入れ違うかの様に藤田が飲み物を持って戻ってきた
何を言う事もせず、持ってきたソレを井上へ
短く礼を伝え受け取り一口飲めば
程良く冷えていたそれが、自身でも気付かない内に乾いていたらしい喉に心地がいい
「美味し」
普段飲むジュースとは何となく違った美味なソレに満足し一気に飲み干せば
その瞬間に井上の顔が朱に染まっていた
「どうかしたか?」
急なその変化に藤田は顔を覗き込む
暫く無言で互いに向かい合い
だがすぐに井上の方は顔をにやけさせていた
明らかに怪しげな笑い声を上げながら、井上は藤田へと身体を寄り掛らせる
「何か、脚元ふわふわしてる〜。いい気持ち〜」
「おい……」
「清正。ほら、ぎゅ〜」
藤田へと腕を回し、まるで子供が縋り付くかの様に強く抱きついて
頬へと井上の唇が近付いた、ちょうどその時
ふわり、酒の香を感じた
「まさか……」
井上からグラスを取り上げ、残っていたそれを僅か舐めてみれば
香りでも解った様にソレはやはり酒だった
「間違えた……」
自分用にと取ってきた酒
ソレを間違えて井上へと渡してしまったらしく、藤田は自分の失態に深々溜息を吐く
取り敢えずは水を飲ませてやろうと
井上へと其処に居る様言って向けると踵を返す
だが
「何所行くの〜。置いてっちゃイヤ〜」
早々に酔い回ったのか
呂律の回らない、舌足らずな言葉でぐずりながら、藤田の服の裾を握りしめ離そうとしない
何度言い聞かせても子供の様にイヤイヤをするばかりで
流石の藤田も困り果ててしまう
「……仕方ねぇな」
溜息混じりに藤田は呟くと、井上へと背を向け膝を折る
その意図が分からない井上が首を傾げて見せれば
「帰る。車までおぶってってやるから、乗れ」
「おんぶ、してくれるの?」
「途中で倒れられでもしたら面倒だからな。いいから、さっさと乗れ」
「はーい」
手を引き、井上の身体を背負ってやると会場を後に
賑やかしい会場とは打って変わり静かすぎる大通り
人毛も疎らのソコを、藤田は井上を負ぶったまま駐車場までの道程をゆるり歩く
「ねぇ、清正」
「何?」
「……私、重くない?」
「別に」
「疲れたら、降ろしてもいいから」
「ここまで来たらついでだ。黙って背負われてろ」
素気ない言い草ながらも、井上を落とさない様抱え直せば
同じに藤田の肩へ井上の腕が回される
今、藤田は自分だけの執事で
だから縋る事くらいはいいだろうと、井上は自分に言いきかせながら
藤田の背に負われたまま、眠りへとついたのだった……

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