《MUMEI》 . 仕事を終えて、学校を出る前に携帯のチェックをした。 小一時間前に、隆弘から、メールが届いていた。 ****** from:タカヒロ sub :お疲れさま〜!! ―――――――――――― こっちは仕事が終わりました! っていうか、無理やり終わらせました! 待ち合わせは前に約束した通り、新宿駅東口に19時で!! 約束の時間まで、新宿中をブラブラして待ってます! 楽しみにしてるね!! ではA ****** メールを読み終えてから、腕時計を見た。ちょうど18時半だった。隆弘との約束まで、あと30分ある。これからゆっくり駅に向かって電車に乗っても、充分間に合うだろう。 わたしは携帯を鞄にしまい、同僚や講師達に挨拶して、ラボから出た。 学校を出る前にふと思い立って、トイレに立ち寄った。簡単に化粧直しをする為だ。 目立つ程化粧は崩れていなかったが、万全の状態で隆弘に会いたかった。 丁寧にファンデーションを塗り直した後、最後にベージュピンクのグロスを唇に塗って、じっと鏡に映った自分の顔を見つめた。 いつもと違う自分。 でも、懐かしい自分だった。 昔はわたしだって、他の女の子と同じようにもっとおしゃれに気を遣って、自分をより美しく飾り立てることに夢中だった。 ―――誰よりもキレイになりたい。 他ならない、『大切だった人』の為に。 不意に、 記憶の波が、遠くから押し寄せてくる。 狭く、薄暗い場所。 輝く眼差し。 薄く開いた、《誰か》の唇…。 3年前に、わたしが経験した辛い、辛い記憶。衝撃的だった筈なのに、無意識に忘れようとしているのか、今ではそれも、おぼろげにしか思い出せない。 …いや、 意識的に、思い出さないようにしているのか。 曖昧に浮かび上がる幻影とは違い、 『あの日』の声が、リアルに響いてくる…。 ―――はっきり言うよ。俺は皐月とは…。 ありありと、その声が蘇ってきた瞬間、 わたしは鏡から勢いよく目を逸らし、グロスやコンパクトをポーチにしまって、それを乱暴に鞄の中へ押し込むと、逃げるようにトイレから飛び出した。 ****** 前へ |次へ |
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