《MUMEI》
一幕
 ベッドのシーツに擦らせるように入り込んでくるもんだから、パジャマの裾がめくれて露出された滑らかな素足は、馨が横たわって眠るシングルベッドの中にするりと潜り込んできた。電気を消して真っ暗な空間ではあるが、自らの寝所へ行かないで馨のベッドに忍び込んでくることに、馨自身は不思議とも、怖いとも、嬉しいとも、恥ずかしいとも、温かいとも感じなかった。ただ、まるで真夜中の湖へ一人沈み行くように、孤独な悲哀の感情だけが、胸の底からじわりと滲み溢れてくるだけだった。
 そして、既に眠ってしまったかのように振る舞っていると、背中に柔らかな身体が寄り添い温もりを感じた。背中越しに胸の膨らみが触れて気恥ずかしいが、馨は心の中で「ああ、何かあったんだね」と平静に後ろの詩織に呟いた。詩織は徐々に手を伸ばしていき、馨の腰に掌を添え、ゆっくり、ゆっくりと胸板へ撫でるように運んでいく。掌が胸の中心までくると、詩織は落ち着いたのか、割れ物を扱うように慎重だった動作を止めて、気が抜けたように体をベッドに委ねた。馨はそんな弱々しい仕草に、たまらなく切なさを感じるし、自分では判別の出来ないときめきも感じる。背中に心配の原因が現れて、胸中に複雑な感情が渦巻いた馨は、安心しているだろう詩織が胸板に寄せた手をいきなり握りしめた。その瞬間、ビクンッと体を震わせた振動が伝わってくる。しかし、痛みを感じる程に強く握りしめた訳ではない。彼女の右手を、自らの右手で優しく包み込んだだけだ。すると、詩織は馨の背中にギュッと縋るように抱き着いて啜り泣き始めた。
「ごめんね、馨。また泣いちゃった。それに、また馨のベッドに来ちゃったね。私って、本当に情けないなぁ」
「全然情けなくなんかないよ。昔から今までずっとお世話になってきて、感謝しきれないくらいだよ。それに、詩織さんは……若いし、綺麗だし、その……僕にとっては心の繋がった大切な女性なんだ」
「……もぉ、大人をからかって。九歳も若いと、言葉まで生き生きしてるのね」
 詩織は恥ずかしかったのか、体中に力を入れて更に強く馨の体を抱きしめた。
「はは。二十代半ばの女の子が言う台詞じゃないね」
「それを馨が言っちゃう? 貴方だって歳不相応に大人びちゃってるじゃない。『心の繋がった大切な女性』だなんていうくさい台詞は、とてもじゃあないけど高校三年生が言うようには思えないなぁ」
「あんまり言わないでよ、恥ずかしいんだから」
「うふふ。ごめんね。でも、そう言ってくれて嬉しい」

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