《MUMEI》
Lesson3
 「奥様、今なんて……」
お嬢様としての生活も漸く慣れてきたとある日の昼下がり
井上達の居る別邸へ、突然奥方が現れた
一体何事か、恐る恐る伺ってみれば
「だからね。私の知人が、あなたを息子さんの婚約者にしたいって言ってきたの」
「ど、どうしてですか!?そんな突然!」
訳が分からない、と困惑気味に訴えてみれば、それは奥方も同様だったらしく
困った顔を互いが向けあっていた
「……それが私にもよく分からなくて。でも、相手は大事な取引先の御子息でで無下に断ることもできなくて」
「そんな……」
「会うだけでもあってもらえないかしら?」
詳しい理由も語られないままに
だが深々と頭を下げられてしまっては断ることも出来ずに
承諾、してしまう
「……私でいいなら、会うだけ、会ってみます」
「本当に!?有難う、紗弥さん!なら先方にはそう伝えておくから」
奥方は安堵に笑みを浮かべながら井上の手を取る
余程嬉しいのか、激しく上下に数回ふると、足取りも軽くその場を後に
戸が静かに閉まる音を聞くなり、井上は頭を抱え座り込んで呻く事を始めていた
「も〜。訳わかんない!一体どうなってるの〜!!」
「格好つけといてソレか……」
態度が違い過ぎる、との藤田からの指摘に
「何よ!大体話がおかし過ぎるのがいけないんでしょ!!」
「俺に言うなよ」
「アンタにしか言えないから言ってるんじゃない!色々と責任取りなさいよ!」
「はぁ?何で俺が」
最早八当たりでしかないソレを藤田へと向けながら
井上は不手腐ったように頬を膨らませる
「不っ細工な面」
相変わらず余り感情の籠らない声でぼそり呟くと
藤田は徐に手を井上へと伸ばし、何故か頬を掴んでいた
「なっ……!?」
頬を伸ばされ、引っ張られる痛みに井上の眼に涙が滲む
「清正!何すんの!」
「お前がらしくない面してたからな。そうやって怒鳴ってる方がお前らしい」
「何よ、それ!」
「ま、そんなに心配すんな。一応執事として付いて行ってやるから」
頬から離れた手が次は髪に触れた
付いて行ってやる、その言葉に多少なり安堵したのか
だがそれでも納得など当然出来る筈もない井上は不満に頬を膨らませたままだ
ソレを眺めていた藤田が微かに笑ったのが直後
「何で笑うのよ!」
どうしてか笑う事ばかりする藤田へと文句を言って向ければ
藤田は髪を撫でていた手を井上へと差し出してやる
おまけにと笑みさえ向けられ
怒りを覚えていた筈の井上は、だが無意識にその手を取っていた
丁度、その時
部屋のない線が鳴り、望まない婚約者が到着したとの連絡が入る
随分と早いその到着に驚きながら、だが来てしまった以上どうしようもなく
井上は藤田に連れられ応接室へ
戸をノックし、開きながら藤田は深く一礼
「お嬢様をお連れ致しました」
其処に居たのは奥方と中年の男、そして井上と同年代であろう青年が一人
一心に視線を向けられ、居心地の悪さを覚える井上
つい後ずさってしまい、その弾みで脚元を縺れさせ後ろへと倒れ込んでしまう
「この馬鹿!」
藤田の慌てる様な声と同時、井上の身体がふわりと浮いていた
どうなったのか、つい閉じてしまった眼をゆるり開いて見れば
藤田の顔が間近で
「馬ー鹿。気をつけろ」
人目を気にしてか小声での文句
つい不手腐った様な顔をして見せれば、すぐに降ろされる
「有難う、清正。それから、お茶を頼めるかしら?」
井上を降ろすなり、奥方からの頼み
当然従うべきソレに藤田は井上の方を僅かに見やる
席を外しても大丈夫か、との目配せに井上は頷いて返していた
「只今ご用意いたします」
丁寧に一礼し、藤田はその場を後に
ソレを見送ると、奥方は井上を手招き、傍らへ座る様促してくる
「御紹介しますわ。この子は紗弥。うちの娘の件はご存知かと思います。この子にはその娘の代理として此処に居て貰っているんです」
表沙汰にはしたくないだろう家庭の内状を開けっ広げに話す奥方
井上は内心落ち着く筈もなく、所在無げに視線を泳がせるばかりだ
「今日和。初めまして」
「は、始めまして」
気軽に差し出された手を戸惑いがちに取り、握手を交わした
次の瞬間

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