《MUMEI》 . ―――その時、 突然、隆弘が、わたしのその手を、握りしめた。 わたしはハッとして顔をあげ、 そして、目を見張った。 隆弘は、燃えるような鋭い眼差しで、わたしを見つめていた。 それは、いつもの陽気な隆弘でもなく、誰かの夫や、二人の子供の父親でもなく、 見知らぬ『男』の顔だった。 瞬間、わたしは萎縮した。怖くなった。手を振りほどきたかった。 でも、 その目に見つめられると、 身体中から力が抜けていき、身動きひとつ、取れなかった。 身を固くしたままのわたしに、隆弘は、「…でも」と強張った声で言った。 「それでも、恋はする」 ハッキリと、潔い抑揚。 迷いの無い、響き。 わたしは、その声が秘める強さに、 彼の鋭い眼差しに、 言葉を失う…。 隆弘は、黙っているわたしの手をキュッと握った。優しい温もりが、痛みを伴ってジワジワ広がる。 隆弘は、わたしを見据えたまま、続けた。 「確かに俺は結婚していて子供もいる。フツーに会社に勤めて、フツーに家庭があって、そのどこにも不満があるわけじゃないけど…」 わたしは隆弘の目を見つめたまま、瞬いた。高鳴る胸の音を必死に鎮めようとするが、無駄だった。 隆弘は、少し目を伏せて、呟いた。 「…でも、そういうの全部脱ぎ捨てたら、俺だって、フツーの『男』なんだよ」 そこまで言って、隆弘は視線をあげた。依然として黙り込むわたしの顔を見つめながら、彼は切羽詰まったように言う。 「…結婚してたって、恋はするよ。俺が皐月さんに一目惚れしたみたいに」 正当化している、と思った。そんな台詞、身勝手な言い訳にしか聞こえない。 「いい加減にしてください…」 そう呟きながらわたしは、隆弘の手を、そっと退かした。解放された手に、冷えきった空気が流れ込んでくる。 . 前へ |次へ |
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