《MUMEI》 . そんな隆弘の姿を見つめ、 一瞬、誰かの姿と、ダブって見えた。 それは、遠い昔、 今日みたいに薄暗く、お互いの肩がぶつかりそうなくらい狭い場所で、 独りで何かを思い詰めるみたいに俯き、その顔に影を落としていた、『彼』。 突然姿を現した既視感に、わたしの心は激しく揺さぶられる。 …違う。 あれは、もう終わったことだ。 混同しているだけだ。 迷いを振り払おうと、わたしはゆっくり口を開いた。 「急に席を立ってごめんなさい」 軽やかな調子で声をかけてから、わたしはソファーに腰をおろした。わたしの声を聞いて、隆弘はようやくわたしが戻ってきたことに気づき、ハッと顔をあげる。 わたしは隆弘の顔を見つめて、微笑みを作った。 「…ビール、すすんでないですね」 テーブルに置かれた隆弘のグラスには美味しそうなビールが並々に注がれたまま、放っとかれていた。それを目敏く指摘すると、隆弘は何も答えず、ただぎこちなく笑う。 わたしは自分のグラスを手に取り、唇に寄せた。 隆弘はわたしの様子を伺うように、呟いた。 「…何か、他人みたいだね」 ぽつんと耳に響いた声に、わたしは隆弘を見つめた。「他人?」と繰り返す。 隆弘は、ゆっくり頷いた。 「俺が結婚してるって言った時から、何だか皐月さん、変だよ。よそよそしいっていうか…」 ぽつりぽつり言葉を紡ぐ隆弘に、わたしは思わず笑い飛ばした。 「当たり前です。結婚されてるなら、わたしなんかどうでも良いじゃない」 バカにしたように言い放つと、隆弘は首を横に振って食い下がってきた。 「どうでも良くないよ。だって、俺は皐月さんに」 まくし立てた彼の言葉を、わたしは、「仮に、あなたがわたしに恋をしたとしても…」と、やや強張った声で遮り、ゆっくりテーブルにグラスを置くと、 隣に座る隆弘の目を一心に睨み付け、 「わたしは、恋なんかしない」 ハッキリと断言した。 . 前へ |次へ |
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