《MUMEI》

あたしは一度目を閉じると、決心して開けた。

そして―彼にキスをした。

「…えっ…」

軽く触れるだけのキス。

それだけで、彼の涙は止まった。

「…ちゃんと進路を決めなさい。そしてその道に進んで、一人前になってから、もう一度あたしのことを考えて。それでもまだ今の気持ちが変わっていなかったら…」

あたしはゆっくりと彼から離れた。

「会いに来て。あたしはずっと、ここにいるから」

彼の手にハンカチを押し付けて、あたしは立ち上がった。

「先生っ!?」

「キミが本当の大人になるの、待ってる」

―その瞬間、あたしは教師としての役目を忘れた。

忘れて、一人の女性になってしまった。

その後、彼は理数系の大学に進むことを決めた。

大学をちゃんと合格して、高校を卒業した。

卒業式が終わった後、校庭で彼と目が合った。

彼は真面目な顔で礼をして、去って行った。

―あれから5年の月日が流れた。

あたしは今でも同じ高校で教師をしている。

彼が去った後は、至って平凡な日々を送っていた。

だけどふと思い出してしまった。

あたしは彼にだけ、女性としての顔を見せてしまったことを。

それは自覚していなかったけど、あたしは彼のことを…。

夕日の差し込む教室で1人、ため息をつく。

「先生」

あっ、幻聴まで聞こえてきた。よりにもよって彼の声。

「先生、約束、覚えていますか?」

「えっ…?」

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