《MUMEI》
過去編(〜成介、美山城奪取)
香金国では劉王寺政権分裂後、かつてより劉王寺十皇(十務理)の近臣で大勢力を占めていた太平王・佐城清平が香金国を平定していった。
太平王は香金国を平定後、香金王に十務理を擁立した。
太平王が死去後、跡を継いだのは佐城譱鉦である。
譱鉦は父、太平王とは対照的に論述により権力を振るい、「話を以って国を制す」という言葉を遺し、王位を創始し、自らが初代香金平等法劉王となった。
時を同じくして、立類国では、国家統一を果たし、覇権を奪取した者がおりました。
それが、王類です。王類は立類皇の血統を持ち、巧みな話術と圧倒的な人望であっという間に立類統一を成し遂げました。そして、香金と同様に立類国家象徴人物の立類皇−正負龍臣を擁立し、立類太平国大皇を始めとする皇位を創位、自ら初代立類太平国大皇となった。
その数年後、両雄は国の富をもり立て、香金国と立類国は更なる権力を手に入れる為に香金と立類の狭間にある原島にて490年(原年20年)宣戦布告をした。これが第一次原島合戦である。
原島とは、過去にも現在においても、政治を変える中心地で成継史の年号にある「原年」の由来になった。そしてこの原島は各国の戦争の遠征拠点地であり、古来から「原島取れば国取れる…」などと言われてきたのである。

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第一次原島合戦:490年(原年20年)8月

香金総帥・佐城譱鉦(初代香金平等法嚠王)
参謀・強川原鹿・原作

参謀・藤近広秋(臣皇)
立類総帥・王類(初代立類太平国大皇)


この戦いは先方から立類側が圧倒的有利でしたが、佐城譱鉦の軍師で猛勇な強川原鹿の巧みな戦術と立類国内の反乱をかき立てたことにより、約五ヶ月ほどで戦争は終結した。
※この戦いで香金の強川原鹿が台頭し立類では、千王(センノウ)が台頭した。
※千王は第四代立類太平国大皇の千源王の祖である。


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第一次原島合戦の三ヶ月後、両国で内乱が本格化し、香金では佐城譱鉦が反乱軍−強川原鹿を鎮圧出来ず降伏→斬首となり、立類では、千王が反旗を翻したものの王類により鎮圧されました。→この反乱によって一気に王派が力を伸ばした。
そして香金国では佐城譱鉦の甥・強川原鹿が492年(原年12年)二代香金平等法嚠王を就任し、権力をほしいままにした。
〜強川原鹿の諸改革〜
・兵力増強
・強川政権の基盤構築
・香金国側の沿岸整備
強川政権は強川原作の頃に全盛期を迎え、原作が香金平等法嚠王を就任後、約三年後にいずれ強川政権を揺るがすことになる一族が一城を奪取する事件が起こる。
それは立類・香金の海賊の統領(三家)成介である。
成介は海賊を統一し海戦神の証である「磯ノ神」を自称し、次に大陸制覇を目論んだ成介は王家が確固たる支配基盤を持っていた立類国より、やっと佐城譱鉦と強川家が内乱を終え、平定へ向かっている香金国を大陸制覇の足掛かりとしようとしたのだ。
そして成介は523年(原年53年)5月6日、戦艦約200雙50000人の海賊を引き連れて香金国南方の美山城攻略に着手した。
当時美山城は強川政権沿岸防衛の責務を任されていた凌止良竿が守っており、「凌止」とは称号の一つで「凌ぎ異国軍を止める」という称号で最強の防衛力を持った豪族であったが成介の夜襲→戦艦攻撃により壊滅、同月の5月8日に援軍が来ぬまま城を明け渡した。それにより“香金成姓”の源流が成立したのである。

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