《MUMEI》

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…嬉しかったんだ。

隆弘と出逢って、嘘でも『一目惚れした』と言われて。



隆弘と一緒にいられたら、



遠い昔に、

元治と過ごした、あの美しい日々に戻れるかもしれないと、



勝手に思い上がった自分が、今、凄く恥ずかしい。



「あなたと会ったら、昔みたいに戻れるんじゃないかって。また、幸せな日々がわたしのところへやって来るんじゃないかって思って…それで、わたし…」

泣きじゃくるわたしを見つめて、隆弘はため息をついた。

「その彼のこと、本当に好きだったんだね…」

言われてわたしは顔をあげる。流れ落ちる涙を拭い、睨み付けるように真っ直ぐ隆弘を見た。

「わたしは、好きでした。本当に」

『わたしは』という言葉を強調して、そう言った。隆弘は黙り込んでまた、ため息をつく。

わたしは、グラスを手に取り、ぐいっとあおるようにビールを飲んだ。この荒立つ感情を、どうにか抑えたかった。

そんなわたしの姿を見て、隆弘は、ぽつんと呟いた。

「…なんか、複雑だな」

それを聞き、わたしはグラスをテーブルに戻す。「何が?」と尋ね返した。

隆弘は難しそうな顔をして、わたしから目を逸らし、頬杖をついた。

「俺が、その彼氏に似てたから、こうして会いに来てくれたってことでしょ?それってちょっと、面白くないっていうか…」

わたしは瞬いた。勝手なことを、と心の中で毒づく。


隆弘は結婚していて、子供もいる。

わたしはフリーだけど、今でも昔好きだったひとを想い続けている。


立場は違うけど、

身代わりを探しているのは、同じじゃないか。


わたしは目を伏せた。ぽろっと睫毛に残っていた涙が零れた。

震える唇を、ゆっくり開く。

「わたしは、まだ、彼のことが忘れられない。今日、ハッキリ気づいた…」

そこまで言って、パッチリ目を開き、隆弘を見つめる。彼はすでにわたしを見ていた。

見つめあったまま、わたしは微笑む。

「…気分を悪くさせてしまって、ごめんなさい。でも、もう会うこともないでしょうから…安心して」

きっぱりと言い切って、わたしはかばんの中をあさり、財布を探した。お金を置いて、先に帰ろうと思ったのだ。



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