《MUMEI》

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わたしは、迷った。違う。そうじゃない。今日は隆弘とデートの約束をしていて、父の見舞いに行こうと思っていた訳じゃない…。

皆の勘違いを否定しようと思うのに、わたしの中の邪な気持ちが、それを邪魔する。


悩んだ挙げ句、


「…ありがとうございます」


と、深く二人に頭を下げた。


自分の爪先を見つめながら、

わたしは、地獄に堕ちる、とまるで他人事のように思った。


病床に伏せ、余命幾ばくもない父を隠れ蓑にして、

皆の親切な気持ちを利用し、

男と…しかも妻子持ちの既婚者とのデートに行くだなんて、

常識はずれも甚だしい。



皆が忙しく仕事をしているのを横目に見て、独りいそいそと帰り支度をしている最中、激しい嫌悪感に押し潰されそうだった。



******



言い様のないモヤモヤした気持ちを抱きながら、わたしは隆弘との待ち合わせ場所でぼんやり立っていた。

楽しみにしていたデートの筈だったのに、今は心から楽しめる気がしない。心の底に気持ちが沈んだまま、全然浮き上がってこない。

暗い面持ちでそうしていると、

「お疲れ」

声をかけられて、わたしは顔をあげた。隆弘が目の前に立っていた。

彼はいつものように優しく微笑みながら、「待った?」と尋ねてくる。

わたしは笑顔を作って、首を振った。

それから、わたし達はどちらからともなく、夜の街を歩き始める。

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