《MUMEI》

「わあ!」

背中を急に揺さ振られ驚く。


「し、志雄君!」

ああ、びっくりした、志雄君だった。
咄嗟に腕の毛を隠しながら剃った。


「やあ、明石。大丈夫?さっき野犬が出たみたいでさ……無事でなによりだ。」

野犬……恐ろしい。


「そうそう、野犬は水が嫌いだから川沿いに歩くと安全だよ、だから此処を下りるといいんだ。」


「わあ、有難う志雄君!」




「わあ、優しいね本当に。」

真後ろからひんやりした恐怖を感じた、千守さんが僕達の後ろに佇んでいたのだ。



「千守さんどうして此処に!」


「兄さんのこの土地はいずれ自分のところに返ってくるからね、視察だよ。ほら、あの旧屋敷から一帯は元は自分の住まいだったからさ。」

千守さんが恐ろしげな旧屋敷を指差す。


「氷室様に負けたからだろ、当然の報いじゃないか。それに、あの屋敷に何の価値が?」

志雄君たら命知らず!


「……渡部志雄だっけ。俺達の問題に手を出さないでくれないかな。屋敷にはね、幽霊が棲んでるんだ……それが欲しい。」

千守さんが陶磁器人形が首を傾げるようにゆったりと微笑む、見惚れてしまうほどだ。


「幽霊なんていないよ、馬鹿じゃない?負け犬の遠吠えだね。」

志雄君はそんな千守さんの美貌にも興味なさそうだ。


「ふ、兄さんの膝を床に付かせるのも時間の問題だ。」


「口で言うのは無料だからね。」


「千守さんも志雄君も仲良くしよう……」

二人のやり取りの間に居るとハラハラする。


「タマ、黙ってくれないと嫌なことしちゃうよ?」

千守さんがライターをカチカチ鳴らす。
嫌なこと……、志雄君を今、足蹴にしている以外に何があるのか……!


「全く、嫌なことなんてたかが知れてるんだからねっ!俺の体が許しても心はいつでも氷室様に!捧げているんだから!」


「この俺をいらつかせるとどうなっても知らないよ。俺って、執念深いからね。」

千守さんは踵の厚い靴で勇ましく志雄君を踏み付けた。


「やめたげてください!志雄君が痛がってます!」

可哀相に、あんなに泣き叫んで……!


「もう、タマったら……その可愛いお口を爛れさせちゃうよ?」

爛れ……?!

千守さんがぼくを引き寄せ、手の甲にキスされる。


「ま、間に合ってます!」

恥ずかしいのと恐怖とで震えが止まらない。

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