《MUMEI》
.day1-01
 それは、彼が黄泉の世界で見たのと大差無い、暗い夜。
 彼――黒崎煉(くろさき・れん)はその街の一角を散歩していた。その姿は、この世ではごく一部の者にしか視認できない。それもその筈、彼はもうとっくの昔に生命を失っている。
 つまりは、彼は霊体だった。
 浮遊霊とか地縛霊だとか、そういった類のものではなかった。
 彼は即ち、死神、死を与え、死を司り、死人を導く存在だった。そんな存在に、彼は死後に成り上がっていた。
 見かけは若く、生き人で言えば高校生くらいだ。死んだ者は肉体的に成長したりはしない。
 身長百八十センチ弱の体躯を黒い装束で包み、腰に巻かれた帯には一本の細長い刀が差されており、足元には黒い草履。そして白の足袋。
 目つきは鋭く尖り、近づく者を残らず叩き斬るみたいな禍々しい雰囲気を撒き散らしてはいるが、あいにく彼はそんな不利益なことはしない。奪命リストに載っていない者の命を奪い取ったところで、彼にとっては全く無益そのものであり、霊力の無駄でもある。
 髪は赤く、短く切り揃えられている。その赤髪は先天的なものではあるが、両親は共に黒髪であったため何故こんな色で生まれてきたのか真相は闇の中である。
 彼はゆったりした歩調で足を進めながら、時折辺りを見渡しては目を閉じ……という動作を繰り返していた。
「れ〜〜〜ん〜〜〜」
 不意に、どこからともなく女の声が聞こえてきた。
 それは、煉の足元から。
 そこには、一匹の全身真っ青の猫、彼の使い魔、サポート係であるところのその猫が人の言葉を発したのだった。一般的に普通の猫は人の言葉を喋ったりはしない。しかし煉にとってはいつものことなので特別驚いたりはしない。極めて冷静に対処する。
「何だ、早姫(さき)」
 煉は視線を落とすこと無く、前方にあった街灯に群がる蛾の軍勢に固定させたまま、よく通る低いバリトンでその雌猫の名前を静かに呼んだ。
「何であたし達はこんな所にいるんだっけ」
「決まってるだろう、任務だ」
 任務というのは勿論、人の生命を奪ったり死人を天の上の世界に送ったりする死神の仕事に他ならない。……理解できる筈も無いのに、その一言が発せられたその瞬間に、街灯の明かりに集っていた数匹の蛾達は散り散りとなって三々五々どこかに消え失せてしまった。
 煉の業務上の補佐役、現在は猫である元人間の早姫が質問を連ねた。
「じゃあさ、今はあたし達何をしてる訳?」
「散歩だ」
 ちなみに、早姫も霊体である。つまり、霊感のあるちょっと特殊で異端的な人種しか彼らを視認することはできない。もっとも、彼らはそこら辺にいるただの浮遊霊とは違い死神なので、視認にはただ霊感があるだけではなく並一通り以上の霊力を持ち合わせていることが要求されるのだが(正確には早姫は単なる使い魔であって死神ではないのだが、便宜上死神と同じ存在と区分されている)。
「だからさ、何であたし達散歩してんの?」
「今回言い渡された奪命執行予定日は本日より六日後だ。充分時間はある。今日はもう遅いし、対象の現状把握は明日でもいいだろう。今夜の散歩に興じているのは単なる俺の個人的な趣味だ。何しろこの地に来るのは初めてだしな。仕事ばかりでは心身共に疲弊するのみだ」
 今回彼らの奪命指令を受けこの街にやって来たのだった。予定日は六日後。本来死神がわざわざ標的の周囲を調査する必要は無いのだが、彼はそれをやっている。それもまた、彼の趣味の一つというか。

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