《MUMEI》
Explanation
「えっ……」
 かなでは音無から少しだけ距離を置き、自分の胸に手を当てた。
「今のあたしの胸では、あなたの心臓が鼓動を打っている。ただ一つのあたしの不幸は、あたしに青春をくれた恩人に、『ありがとう』を言えなかったこと……。……それを言いたくて、それだけが心残りで、この世界に迷い込んだの」
 次々に飛び出す信じ難い言葉達。しかしそれを繰り出すかなでの顔はどこまでも真剣そのもので、かつやや悲壮感を帯びていた。ゆりが自分の過去を話した時の雰囲気に、少しだけ似ていた。
「そんな……でも、どうして俺だってわかった!?」
「……最初の一刺しで気づけた。……あなたには、心臓が無かった」
 言われ、彼はそれまで無かったくせに唐突な虚無感に襲われて、慌てて自分の胸に手を押し当てた。
 自分自身の心臓の鼓動を感じ取れず、軽い絶望感がやって来た。
「……でも! それだけじゃ!」
 彼の言葉のみの抵抗は(彼は誰と戦っているんだ?)かなでの次なる一言が両断した。
「……あなたが記憶を取り戻せたのは、あたしの胸の上で夢を見たから。……自分の鼓動の音を、……聴き続けていたから」
 あの時だ。かなでがハーモニクスで出現したいくつもの分身を一挙にその身の内に取り込み、一時意識不明に陥っていた、あの時。保健室で彼はかなでの傍にずっとついていたのだが、いつの間にか眠っていて、自分が電車事故に遭った時の記憶を完全に取り戻した。目が覚めた時にはかなではもう先に起きていて、彼の顔は確かにかなでに覆いかぶさるように……
「そんな……」
 それでもなお信じられないといった面持ちで、音無はかなでを見つめている。
「……結弦、お願い……」
 かなでの頼みなら何でも引き受けるつもりの音無だったが、今ばかりは、心が乱れに乱れており、まともな判断ができなくなっていたかも知れない。
「さっきの言葉、もう一度言って……?」
 さっきの言葉……。そんな……ではない。どうして俺だってわかった!? ……それでもない。ある筈が無い。

 好きだ。

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