《MUMEI》

聞こえぬその声を聞き、琴子は穏やかな笑みを浮かべた
狐・孤夏の頭を何度も撫でてやると、徐に踵を返す
「お嬢?」
家路を歩き始めた琴子へ、背後からの相田の声
その声に琴子は振り返り
帰る、との短い一言で琴子は相田の袖を引いた
相田はされるがまま、琴子の後について歩く
「……結局、私は、何も出来なかった」
「は?」
暫く歩き、そして徐に琴子が呟く事を始める
一体何の事か、相田がつい聞き返してやれば
進む脚をピタリ止め、琴子は相田へと踵を返して
抱きあげろ、と唐突に強請ってくる
その言葉通り、抱え上げてやれば
徐に琴子の手が縋りつくかの様に相田へと触れてきた
「どうかしたか?」
珍しいその様子に、相田がつい問う事をすれば
だが琴子は答える事はせず
相田の着物の袷を強く握りしめるばかりだった
「……大丈夫だ、お嬢。大丈夫」
何度も大丈夫を繰り返し、宥めてやろうと背をゆっくりと叩いてやる
暫くそうしてやり、漸く落ち着いたのか、琴子は相田の腕から飛んで降りていた
「……黒この癖に、生意気よ」
「は?」
何故に文句を言われるのかが相田には分からずに
つい聞き返す事をしてしまうが琴子からの返答はない
そのまま不手腐った様にそっぽを向いてしまい
相田はどうしたものかと溜息を吐くはかりだ
「……そりゃ悪かったな」
一体、何に対する謝罪なのか
言っている相田本人にもイマイチ解らなかったが一応は謝ってやり
宥めるかの様に琴子の髪を梳いてやった
次の瞬間
相田の肩の上に座っていたらしい孤夏が何もない筈の前方を暫く眺め
そして唐突に全身の毛を逆立てることを始める
「どうした?」
行き成りなソレに、相田は狐が見る方へと向いて直る
居据えた先に唐突に現れたのは
無数に伸びる糸の様な何か
何かを捕らえようとしているのか、相田達の目の前に張り巡らされていた
「お嬢!」
突然に現れたそれらから琴子を庇ってやりながら
相田は辺りの様子を窺う事を始める
(……指斬り様に、逆らっては、駄目)
不意に聞こえてきたか細い声
その声が聞こえてくるほどに糸達は蠢く事を始め
大量に集まったそれらが、段々と人の形を模す
(……久しぶりね。琴子)
うっすらと見えてきた人影
段々とはっきりしてくるその姿は
何処となくだが琴子に似た雰囲気を持つ女性で
ソレを見るなり、琴子の表情が僅かに変わった事に相田は気付く
「……何故、あなたが此処に居るの?」
まるで蔑むようなそれを相手へ向ける琴子
見えたその姿は相田にも見覚えがあるモノだった
「……奥方」
琴子の、母親
突然のソレに相田が怪訝な顔をして見せれば
だが母親は穏やかな笑みを相田へと向けて返す
「……琴子。指斬り様に、逆らってはダメ」
笑みを絶やす事はせず
穏やかな、だが強制的にも聞こえる言葉
琴子は語る母親を呆れた様子で眺め見ながら
「……突然姿を消したと思ったら。わざわざそんな事を言う為出てきたの」
余りのくだらなさに、溜息を吐く
深いソレを何度も吐くばかりの琴子へ
母親はやはり笑みを絶やす事はしないまま
「……覚えて、おきなさい。指斬り様は、(救い)だという事を」
「……ごめんなさい。生憎と物覚えはいい方じゃないの」
だが琴子は聞く聞く気すらないのか
貸してやる気はないようだった
態と目を合わせない様顔を背け
そして相田へと視線を向ける
「……アレも、毒されてる。黒、消してくれる?」
「いいのか?」
「構わない」
琴子からの短い返答を戴き
相田は躊躇することなく、母親へと刀を差し向けた
「……私を、殺す、の?」
「そうね」
「どうして?何故貴方は認めようとはしないの?指斬り様こそが救いだと」
「……だからあなたは馬鹿なのよ。何一つ解っていない」
「……琴子?」
「黒、お願い出来る?」
琴子の言葉に僅かに動揺を始めてしまった母親へ
だが琴子は欠片も躊躇する様子もなく相田へと眼を配る
その視線に相田は頷いて返し母親の首を素早く斬って捨てていた
鈍い音を立てて転がる母親の首
飛び散る鮮血に、だが相田の漆黒の着物はその赤にすら染められる事はない
「……生臭い」
饐えた鉄の様なソレが漂い始め

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