《MUMEI》
サクラサク〜マナー違反の花見客〜@
「美しいと思わないか」
 窓際に座った壮年の男が、外に咲き誇った桜を見ながら言った。そばに立っている若い女性は男と同じく桜を見つめながら首肯する。
「もちろんです」
 男は女性の答えに満足気に微笑む。しかし次の瞬間には表情が険しく歪む。
「しかし、最近はこの美も分からないうつけ者共がばっこしている」
 女性は視線を桜の下に移す。彼女がかけている眼鏡には、隙間なく敷き詰められたシートと、その上でどんちゃん騒ぎを繰り広げる人間が映った。
「あの中の一体何人が真の意味での花見を楽しんでいるというんだ」
 男はやおら立ち上がる。その全身は小刻みに震えていた。
「やつらは桜などどうでもいいのさ。ただ騒ぐ動機が欲しいだけ。その証拠にやつらの多くは平気で景観を汚していく」
 見ろっ、と叫んだ男の指先。それは桜並木のあちこちに捨てられた大量のゴミを指していた。
「本当に花見をしにきている者ならばこんな美を損なわせるような事は絶対にしない。本来ならあんな所にゴミなど蓄まるはずないのだ。しかし実際はこれだ。つまりやつらは花見客などであるはずないのだ!」
 男は机を強く叩く。
「自分一人ぐらいなら平気だ、と思っている人が多いのかも知れませんね」
 女性は男の肩に手を置いた。男は左右にかぶりを振り、だろうな、と呟き座る。



 またもや視線を桜を向け、一拍おいて男は女性に喋り続けた。
「私はね、桜が好きなのだ」
「……」
「毎年この時期になると、童心に返り、胸が踊る」
 男は足を組み替える。その顔は微笑しているが、何処かぎこちない。
「誰よりもこの桃色の絨毯を愛している自身がある。もうこれは生き甲斐と言ってもいい」
 表情が一気に砕け、歯を食い縛った般若の形相が現れる。あまりの力にカルシウムが悲鳴を上げる。
「そして、そんな楽しみに水を差すような真似をするやつは大嫌いだ」
 女はそんな男に臆する事なく見続ける。
「どいつもこいつも、自分の事ばかりの腐ったやつらだ」
 男は真っ赤に染まった顔を女に向け、叫ぶ。
「結局人間なんてモノはこういう生き物なんだ。皆、おしなべてエゴイストなのさ」
 一瞬自嘲的な笑みを浮かべるが、すぐに強張り、赤鬼の表情に戻る。その目には普段より水分が溜まっていた。
「なんでこんなやつらに合わせて私が良心的に生きなければならない? 可笑しい話だろ」
 涙を流しながらの、既に雄叫びと化した声が室内に響く。
「私だって自由に生きていいはずだ!」
 男はまくし立てた後、顔を下に向け、時折全身を震わせるくらいしか反応を見せなくなった。

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