《MUMEI》

走り出した深沢
目的地はやはり、あの場所しかない
再三訪れる羽目になったそこは、だが見えた景色は今までのソレとは明らかに違っていた
鉄塔だけが無意味に建ち、寂れた場所でしかなかった筈の其処
以前には見えて居た筈の月がすっかり見えなくなってしまっていた
満月から、月齢を追わずに突然の新月
「少し見ん内にすっかり様変わりしたな」
隠されてしまった月をを仰ぎ見てみながら一人言に呟けば
だが深沢は自身の背後にヒトの気配を感じ、そちらへと僅かに首を巡らせていた
「……あの男が、憎かった私は、あんなにも愛していたのに――」
見えてきた姿は、月が無い事に影響しているのかはっきりとしたソレで
よくよく見てみれば
やはり滝川の母親なのか、顔にその面影が見えた
「……私は、もう解らない。この意識が一体誰のものなのか、解らないのよ!」
一人の男を信じ、そして愛し
挙句、蝶を養う媒体として利用された
憎むべき筈の相手へ
だが憎み切れずに居るのは
その男を未だに思っているからだった
「……私は、ヒトじゃない。けれど、永遠を生きる事の出来る蝶でもない」
深沢へと向けながら、だが独り言の様に呟く
「……望んだのは、叶えたかったのは、あの人と同じ月を眺めている事。それが叶うと思ったから私は……!」
ヒトである事を捨て、全てを蝶に捧げた
だがまさか、自身の中でそれが二つに分かれる事になろうとは、予想だにしない事だった
「……もう、どうでもいいわ。あの人は何所?何処なの!?」
辺りを忙しなく見回し、求めるモノを探し始めながら
這う様にしながら唐突に鉄塔を上り始めて
深沢も、慌ててその跡を追う
漸く到着した其処には一つ、ヒトの影があった
「……誰?」
見える後姿に問う事をしてみればその人影はゆるり振り返る途端に、陽炎が息を飲む音が聞こえてくる
「……秀、明」
近く歩み寄り、暗がりでもその姿を捕らえる事が出来る様になれば
見えてきた姿に深沢さえも驚いてしまう
「お前……」
ソレはすでに息絶えている筈の滝川の父親、秀明のモノで
何故、この男が今此処にいるのか
ソレを訝しむ深沢を、だがその秀明は意に介す様子もなく
陽炎へと手を差し伸べていた
戸惑いながらも、陽炎はその手を取り秀明の腕の中へ
「……あなたを、とても愛していた。そして、憎んでしまった。これは、誰の感情……わから、ない」
滝川 加奈子としての感情なのか、それとも蝶としての本能なのか
わからないを何度もその秀明へと訴え始める
だが秀明は何を返す事もせず、陽炎の頬へと手を伸ばし
そのまま唇を重ねていた
「……月に、堕ちるか」
長いソレの後、秀明が呟いて
陽炎が困惑気な表情を浮かべて見せた、その直後
それまで其処には無かった筈の月明かりが徐々に現れ始めていた
「……月の、光。どうして……?」
見えてしまう満月に明らかに怯えた様子の陽炎
ソレを秀明が宥めてやるかの様に唇を重ねる
「……お前に月齢周期を組み込んだのは私だ。お前が、一体どんな風に変化していくのか、それが見たかった」
「秀、明……」
「……それが、間違いだった。まさか、その過程で二つの人格が宿り、あまつさえそれが個々に別れてしまう事になるなんて」
後悔の念を顕にする秀明
まるで壊れモノにでも触れるかの様に柔らかく彼女の頬へと手を伸ばしながら
「加奈子。もう蛹に戻る必要はない、このまま私と――」
言い終わると同時に
陽炎の身体から、心臓が脈打つその音が派手に響いて聞こえた
「……秀、明。貴方、何を……」
突然座り込んでしまった陽炎
一体どうしたのか、その様子を伺って見れば
その全身が、まるで脆くなった土壁の様に崩れ始めていた
「……私が、壊れていく。いや、嫌よ!」
ヒトの型を失っていく陽炎
暴れ始めてしまうその身体を秀明は更に強く抱いてやりながら
「……大丈夫だ、加奈子。私も、一緒だ」
これ以上ない程に優しい笑みを陽炎へと向ける秀明
その身体も同様に薄れて行く
暗闇しかなかったそこに、満月が完璧に現れてしまえば
二人の姿は跡形もなく、そこから消えて行った
「……アレ、お前の仕業か?幻影」
暫くその様を眺めていた深沢が何所へともなく問う事をしてみれば

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