《MUMEI》 後編(天下人・藤近森広〜公劉池城の戦い)時は596年(原年126年)、成継が立類国上陸後“南の雄族”と謳われた円長兵衛門を総帥とする“四家一門衆”を取り込み、立類国南部に新勢力を確立した成継が円長兵衛門より今の大権者、すなわち中央政権・藤近森広の存在を知った年である。 森広は、592年(原年122年)に時の大権者・千源王を原島会議で失脚させた“緑王の略”で大権者となり、「王類の先例」と称して皇位従一位統・緑士斎皇(令位)を創位し、名実ともに“大権者”となった男である。 藤近森広の政権は、まだ立類未統一ということもあり“中央政権”と呼ばれ、594年(原年124年)には前立類太平国大皇並現立類禁士斎皇(令位)の千源王を戦線とする“千源王戦線”を開始し、統一事業を進めている途中であった。 その藤近政権を打倒すべく596年(原年126年)、第二次原島合戦以来反目しあっていた立類南方大将・成継と北方大将・千源王は「反藤近同盟」を結成し、各地で藤近軍との交戦後、公劉池城の戦いへとなるのである。 なお、公劉池城とは、古代中国における城郭以上の規模を誇り、四家一門衆勢力の約2.5倍の藤近勢力において4分の1を占める規模であり、幾重にも城壁を重ねた城である。大きさ的には、日本国における関東圏などの「圏」に匹敵するものである。もちろん当初からこの規模ではなく、劉王寺〜王家政権の時代から歴代の藤近氏は公劉池城を本拠とし、臣皇として実権を握り、財をかけて何代にもわたって増築してきた為である。森広が大権者となる頃に最盛期を迎えた。 ――――――――――――――――――――― 〜公劉池城の戦い〜 598年(原年128年)9月 反藤近同盟軍 南方・成継/北方・千源王<45万>〇 ※追尾応襲戦法(成継) ※散玉戦法(成継) ※双尽戦法(千源王) 対 中央政権 天下人・藤近森広<65万>× ※天揮戦法 ―――――――――↓――――――――――― 《流派対決》 場所:公劉池城―緑王の間 神道流(香金第一流派) 総帥・成継[雷神剣/気爆拳]〇 対 王道流(立類第二流派) 総帥・藤近森広[緑龍刀×2/緑龍の術]× この戦いで天下人・藤近森広が敗死し、成継と千源王による“統一連合政権”が始まる。 前へ |次へ |
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