《MUMEI》
3
 墓地を後にし、庵へと帰り付いたのとほぼ同時の事だった
表戸をあけようと手を掛けたソレから、何かが倒れる様な派手な音が響いてきたのは
「お嬢!?」
何事かと慌てて中へと入って見れば
其処にある筈のない人影に、何故か琴子が押し倒されているのが見えた
常日頃きっちりと着込まれている着物は無残にも引き裂かれ肌が顕に
口元を押さえつけられている琴子は声すら出せずに唯々もがくばかりだった
その様に、相田はすぐに冷静さを欠き
だが相手を伸してやるより琴子を解放してやる方が先だ、と抜刀しそうになったのを何とかこらえ
その人影へと脚を蹴って回す
素早いその動きに避ける事が出来なかったらしく、その人影は弾かれるように後方へと飛んだ
「……黒」
琴子がこれ程まで感情を顕わにする事は珍しいと驚いてしまう程に怯えの色が濃く
縋る様に相田の着物の袷を強く握りしめた
「……一人にして、悪かった」
今更に後悔し、その細く華奢な身体を抱きしめてやる
自身の羽織を琴子へと覆う様に被せてやり、下がっている様言い聞かせて
ソコで漸く相田が刀を抜いた
改めて対峙したその男はほぼヒトとしての理性を失ってしまて居るかのように
喉の奥から獣の様な声を上げ、獲物を振り回す
金属同士が重なる高い音
鼓膜を痛く震わせるその音に、相田は憎々しげに舌を打った
「……その娘を、殺せ。それが俺が交わした(オヤクソク)なのだから」
互いの刃を押し引きしている最中に、男が一人言の様に呟く
柄を握る男の右の手
食いちぎられたままになっている其処は
すっかり血液が固まり、赤黒く変色してしまっていた
「……早くオヤクソクを果たさなければ。指斬り様、指斬り様が来る……!」
酷く怯える様を見せ始めた男
出来たその一瞬の隙を借り、相田は相手の首へ向け刃を振った
その直後
ソレを止めるかの様に、突然孤夏が目の前に現れる
「……退け」
邪魔だと睨め付けてやれば、だが孤夏は退く事をせずに
もの言わず相田を制したまま、その男へと近く寄っていく
一体、何をどうしようというのか
琴子にも見ている様言われ、仕方なしにその様を眺めていれば
孤夏が徐に、その男の千切られたままになり、血が赤黒く固まってしまっている指えと舌を這わせていた
まるで労わってやるかの様なソレに、男は驚いたかの様に呆然と立ち尽くす
「な、何なんだこの狐は!また、俺の指を喰らうつもりか!?」
顔色も青白く、暴れ始める男
だが孤夏は怯む事を一切せずに、男の指を舐め続け
止めろだの近づくなだの、一方的なやり取りが暫く続いた後
突然に男が喚く事を止めていた
「……指が、戻った」
すっかり孤夏の唾液に塗れてしまった手を眺め見てみれば
無い筈の指が、元の通りに其処にあった
「……これは、一体」
憑きものが取れたかのように落ち着きを取り戻した男
驚いた様子のその男へ
漸く身形を整えた琴子がゆるり歩み寄りながら
「だって、この子は(指結い)だから」
孤夏を相手へと抱え上げて見せた
「……もう、用はないでしょ。さっさと帰りなさい。貴方の家族が貴方を待っているわ」
早く帰ってやれ、と言葉を続けてやれば
男は暫く状況が理解出来ていない様子だtが
すぐに立ち上がり、逃げる様にその場を後にしていた
「……湯あみ、したい」
その背を見えなくなるまで見送った後
徐に呟く声が聞きこえ
漸くおちつきを取り戻したらしい琴子に、相田は安堵の溜息をつくと
湯を張りに風呂場へ
湯が程良く溜まるのを待ち、琴子を連れて入る
「……黒、入れて」
動きたくない、と珍しい我儘
余程手酷く扱われたのだろうその名残が身体の至る処に残る琴子へ
相田が否を唱えられる筈がなかった
「着物のまま、入るつもり?」
一緒には入ってくれないのか、との琴子へ
相田は困った様に苦笑を浮かべて見せると着物の上下を脱ぎ棄て襦袢一枚に
そのまま琴子を抱き、湯の中へと浸かる
少しばかり温い湯に
何故か琴子が安堵の
溜息を洩らしていた
「……ぬるま湯は、(虚ろ)に似てる」
「は?」
唐突な言の葉
つい聞き返せば、琴子は相田を見上げながら僅かに笑みを浮かべる
「……いつまででも浸かっていられる、けれど浸かり続けてはいけないもの」

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