《MUMEI》

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「この前、辞令が出てね…異動することになったの」


本棚に目が釘付けになっている俺の耳に、そんな言葉がすぐ隣から流れてきた。彼女の声だった。『イドウ』という言葉が『異動』なのだと気がつくまでに、少し時間がかかった。

俺は顔をあげて彼女を見た。彼女はやっぱりテレビを見つめていた。いつもと何ら変わらない、キレイで冷たい横顔だった。

どこへ?と尋ねた俺に、彼女は「都内の違う百貨店だよ」と、なぜか軽やかに笑う。それは『大切な何か』を誤魔化しているような言い方で、急に不安になった。でも、それを今、口に出してはいけない気がした。

「大変だな…」

「仕事だから仕方ないんだけどね。でも、通勤はラクになると思うから」

なぜ、ラクになるのだろう。都内ならどのエリアでも通勤に1時間強はかかる。今とそれほど変わらない筈なのに。
尋ねたいのに、口が動かない。いや、尋ねなくてもわかっていたからなのか。さっき見つけた賃貸情報紙が脳裏に浮かぶ。

心臓が早鐘を打ち、手に汗が滲んだ。いつの間にか握ったままのビールの缶は、温くなってしまっていた。

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