《MUMEI》

菜江は、書斎の前で、一息つきドアをノックした。
暫く待ったが、返答はない。


意を決して、ドアを開け中へ入る。


「失礼します、貴方。雑誌編集者の方が、随分とお待ちのご様子ですが…。」


原稿用紙に執筆中の、坂崎の手が ピタリと止まった。


椅子を回転させ、菜江の方へ向いた。


「執筆中は 入るな。と何度言ったかな?」強い口調で、不機嫌そうな態度をとった。


「すみません、私…。ただ、約束を破るのは、どうか?と思いまして、出過ぎたまねをしてしまいました。」


「編集者など、ほって置けばいい。また来るだろう。」


そう言い放ち、また机に向かう坂崎。


その後ろ姿に、菜江はお辞儀をして、部屋を出た。


「私は、何を期待したのだろう…あの人は、私の頼みなど、聞くはずないのに…。」


菜江は寂しそうに、笑った。


「愛のない夫婦…か。夫婦でもないわね、あの人は、私に触れもしないのだから…。」


最初から分かっていた事〜


菜江の祖父は、文豪であった。数多の作品を世に出し、多くの新人作家の師と仰がれていた、坂崎もその1人であった。


菜江の両親が、不慮の事故で亡くなり、祖父の家に引き取られた。

祖父は、菜江を溺愛し、大切に育ててくれた。祖父の命が、あと僅かと判明した時、祖父は、菜江を1人残す事を心配し、坂崎に、後見人を兼ねて、菜江との結婚を頼んだのだ。


坂崎としては、師の命をかけた頼みを、無下に断る訳には、いかなかったのだろう。


「坂崎は、私なんか、愛していない…。」

菜江は、呟いた。

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